さまようことば
たくさんのことを話して少しも伝わらない日
聞こえていない聴いてはいない
それが分かる日には景色が霞む
話すことなどなにも無かった
話すことを生業にといつ決めたろう
黙想の平和
静寂の幸福
頭を垂れて話し止む夢を見る
さまよう思い
さまようことば
一人芝居
壁打ちテニス
行くあてが無いなら
ことばは要らない
流せるものなら
言わなかったと忘れ去る
そうできたならどんなに良いか
こういう日が余りに多い
辿り着くのは機械の前
もう口は開かなくていい
2 書く
昔はいつも紙だった
昔はいつもペンだった
昔はいつも郵便屋
昔はいつも書いていた
広げた紙とインクの匂い
ペンだこの出来た右の中指
上から下に升目を埋めて
左から右に罫線辿り
字数を数えページをめくり
書いては消して消しては書いて
思いに沈んでことばを探す
闇の中からやってくる
小さな光を捕えては
力を込めて書き付けた
ことばの列を誇らしく
眺めて更けていく夜に
眠気も知らない若さだった
ことばの稽古が何より好きで
冷房もなく暖房もない
暑くて寒い部屋の中に
世界が回っているようだった
いつか出かけていくと
信じてことばを習っていた日々
長い手紙長い日記長い試論
長い長い長い物語
自分に向かって書いていた
紙とインクとペンだこと
長い夜が相棒だった
それがいつしか消えていた
もう紙ではない
もうペンではない
もうペンだこはない
郵便屋も来ない
目の前にあるのはキーボード
モニター画面にまたたくカーソル
十本の指を全部使って
ことばを打ち出す叩き出す
画面に並ぶ文字列は
ワンストロークの早業で
いくらだって複製できる
瞬時に消すのも自由自在
切っては張り付けあちこち入れ替え
つぎはぎだらけの古着のようだ
これで「書いた」と言えるかと
考える間もあらばこそ
うかつに送り出す電子の粒は
律儀に旅したその果てに
誰かの機械で蘇る
誤りだったと気付いたときは
既に遅いもう間に合わない
取り消すことの出来ないことば
書くのを忘れた悲しい書き手
打たれたことば叩いたことば
心のことばを書こうとしても
同じ字体の行列は行儀の良い分冷たくて
情けと無縁の伝言ゲーム
キーに吸い付いてはなれない
指が反乱し続ける
1000110100101010011101100011
かっきり区切れて飛んでゆく
心を離れて心を置いて
郵便屋を待った少女はどこへ消えたろう
ペンだこに染みたインクの色が
いつまでも消えずにいたあの日
手紙の束を箱に詰めて父母の家を出た娘は
今も書いているのだろうか
00101000101010101110101010101
聞こえたら返事を下さい
書いて下さい
書いて下さい
3 読む
夜のしじまに響く音
カタカタカタカタ鳴る音は
信号?
ハードディスクが吸い込んだ
世界をめぐる蜘蛛の巣を
巧みにわたってきた便り
生きているのを知らせるために
戦の続く国からも隣の街の部屋からも
愛・憎しみ・諍い・怒り・家族・暮らし・仕事・孤独
画面の中に息づくことば
読んで読み返してまた読んで
人の息吹を懐かしむ
待っていた人のことばは貴くて
字列の表示を幾度もなぞる
でも
そっと問う声が聞こえる
本当に、本当に
これは人のことばなのかと
書いた人はどこにいるのかと
出会うこともない人のことばを
懐かしんでいとおしんで
読み続ける夜の闇
虚空に放たれたことばを受け止めて読むうちに
人の心に触れたようで甘美な思いが満ちてくる
大いなる錯覚かもしれないのに
読む快楽は麻薬のようにしみわたる
そしてまた打つ
受けて読むのを待ちきれなくて
4 聴く
手に入れたてのCD-ROMは魔法の円盤
音と画像とことばのフュージョン
聴く歓びに身を委ね歌のことばに心を酔わす
高らかな声ささやくことば
魂を揺する旋律は呼び起こす
眠らせていた思いを再び蘇らせて踊らせる
いざなうようにあざけるように
歌のことばが呼びかける
今ひとたび来たれと心をさらって飛んでゆく
聴く喜びは果てしなく幾度も幾度も繰り返す
ことばは流れ心に入り
忘れられないリズムになって
体の中で動き出す
歌え歌えと呼びかけて
ことばを生み出す心をそそる
怖れることはないことばを歌え
臆することはないことばを語れ
止まることはないことばを紡げと
幾度も幾度も繰り返す
歌わずにいられない
語らずにいられない
書かずにはいられない
渦巻くことばを解き放て
いのちをはらむさまようことば