関東地方では三寒四温が益々「温」の方に傾いてきた。冬眠中だった我が家のカメもゴソゴソ動きおはじめている。ここまで来るともうどうにもじっとしていられず、私も歩きに出かける。とは言え諸般の状況から遠出はできないので例によって近場を探索である。長年この土地に住んでいても案外未踏の場所があり、その一つが「荒幡富士」であった。
日本人の富士山に対する憧れ、畏敬の念には特別なものがある。富士を「不二」とも呼び「霊峰」と称する。山手線の窓から富士を遠望することのできるスポットが遂に消えたというのは2010年のニュースになった。平らな関東平野に住んでいると山が恋しい。一時間も電車に揺られれば山地に近づけるのだが、なかなかそれも叶わない。ところが空気の澄んだ日にたまさか富士山の見えることがある。日頃山になど全く無関心の人々さえ、「今日は富士山が見えますね」と嬉しそうに語り合う。山梨県から来た学生は「富士山は静岡のものだと思っている人が多いですが、富士山は山梨です」と気色ばむ。
かくて富士信仰というべきものは、各地に富士山のレプリカを生むまでに至る。富士と言ってもあの山容を模すのはいかにも困難であるから、その地で一番高い築山をこしらえ展望台とする。うまくいけば、そこに上ると地上からでは仰げない本物の富士山を遥かに見晴らすこともできる。そしてその山裾には「浅間神社」が鎮座する。(というよりむしろ、神社境内に富士を築いて信仰心を煽ったということか。)
本日の散策は埼玉県所沢市の「荒幡富士」。「明治17年(1884)から約15年かけて氏子民心統一を目的に作られた人工の富士山で、今も地元の方々によって守られている。(中略)荒幡富士の標高は約119メートル、一合目、二合目と標石があり、中には築山当時のものもある…」(『トトロのふるさと-狭山丘陵見て歩き』幹書房 2008 p.124) 私も高いところに上ってみるのが大好きである。それが都会の高層ビルであれ、築山であれ、いざ展望j台へ!果たして、たどり着いた荒幡富士の頂上は視界360°。東京都と埼玉県県境地域が一望でき、気象条件さえ整えば確かに秩父連峰も富士山も見晴らせる絶景が広がっていた。狭山丘陵の魅力が存分に味わえる景勝地というべきか。19世紀の終わりにこの地の人々が見た夢は、21世紀に受け継がれている。
(写真で一目瞭然と思いますが、関東平野は本当にフラットです!海や山に憧れる気持ち、お分かりいただけるでしょうか・・・。)
不定期に散策記録を掲載します。お問い合わせなどは、こちらへどうぞ。 |