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猫と暮らす

 

キジトラ にっき(左)

キジ白 はっか(右)

Ameba 「にっきとはっか」 (最新記事はこちらからどうぞ)

8/9/2018以降の「猫と暮らす」は上記、Ameba Blog (アメブロ)で毎日公開しています。クリックして飛んでいってみてください。

過去の記事

いばしょ
2018-08-24 22:28:14

あなどれない
!2018-08-24 00:23:17

すわる
2018-08-22 23:03:28

かたち
2018-08-21 23:22:37

焼き魚
2018-08-20 23:30:54

しぐさ
2018-08-20 00:08:50

ためし
2018-08-18 23:53:30

そろって
2018-08-17 23:38:08

じっと
2018-08-17 00:06:22

くびわ
2018-08-15 23:27:17

みつめる
2018-08-14 23:37:20

なにもの?
2018-08-13 23:10:27

一番乗り
2018-08-12 23:05:07

はらはらどきどき
2018-08-11 23:39:22

猫の中の猫
2018-08-10 22:50:20

掃除中
2018-08-10 00:32:34

ここ、入れるかしら?

まきびし抱えて踊るにっき

エレガントなはっか

なまこみたいって言われてます

 

8/8/2018 「猫バナ」

どうやら動物をめぐる派閥があるらしい。猫が好きな人、犬を愛する人。もちろん両方好きな人もいるし、動物に興味のない人もいる。もっと細かく見れば柴犬が好きな人、秋田犬を愛する人、トイプードル一筋の人もいるだろう。ブランド猫好きもいるし、猫ならどんなのでも好きな人も。逆さまに、猫を嫌っている人もいる。

 

 

これまでそんな「派閥」になど、私は無関心だった。子どもの頃はスピッツを飼っていたので、犬には親しみを感じていた。昔、職人の伯父・伯母が何匹も猫を飼っていた。東京の下町で、出入り自由な猫たちだった。私が追いかけると猫は必ず逃げた。猫、好きだったのに。

 

                                         

こうして猫と暮らしてみると、あけっぴろげに猫の話ができる相手と、そうではない相手がいることに気づく。ある意味で「恋バナ」と同様、他人の「猫バナ」なんか「あ、そう」ってなもので、鼻にも引っ掛けない人たちが大勢いる。(そちらの方が多いかも知れない。)たしかに犬を連れて散歩する人たちが犬談義で盛り上がっているところへは、私は入って行けない。

 

                       

でも、こうも思う。人は知らないことには冷淡なものだ。猫と暮らして初めて見えるいろいろなことに、驚いたり喜んだり不安になったり。それは全部愛するということのレッスンなのじゃないかな、と。

「ふーん、どこの猫かしら?」

「猫のでしょ?」

仲良きことは美しきかな

あまり舐めすぎると...キレます。

 

 

8/7/2018 「得意技」

眠るのが仕事とはいえ、はっかは本当によく眠る。普段は人間が座る食卓の肘掛け椅子の一つに、たいてい陣取っている。食事をするときには起こしてどいてもらわなくてはならない。餌の時間にはぴたっと目を覚ます。今夜は外で野良猫が喧嘩して大声を上げた時に、ぱっと目を覚まして、出窓に急行した。外の気配を探るには最適の場所。その素早さには感心する。

 

 

にっきは人間がちょっと動くとすぐ反応して「もしかするとご飯かな?」の表情で台所へ駆けつける。「違うってば。さっき食べたばかりじゃない。お姉さんと一緒にもっと寝てなさい」と言って聞く訳もなし。人間が料理を始めると、必ず偵察に来る。(お茶を飲もうと少し動いただけでも目を覚まして付いてくる。)「小さい猫はこんなところ危ないから向こうへ行ってなさい」と諭して聞き分けるわけもなし。ただ、最近は「しっし!」という言葉が分かるのか、退散することもある。

 

 

二匹が仲良く舐め合っているところはいつ見ても微笑ましい。きっと産んだ仔猫たちのこともこうしてペロペロ舐めていたのだろう。にっきは人間の手も足もよく舐めてくれる。(以前いた家では「ペロペロちゃん」と呼ばれていたそうだ。)舐めてくれるのは嬉しいけれど、ザラザラの猫舌はちょっと痛い。

 

 

 

 

はっかは睨みをきかせて猫パンチ!

にっきより一回り大きいはっか

いろんなことをしでかす「おちびさん」

 

8/6/2018 「タフ猫」

保護猫カフェで産んだばかりの仔猫たちに授乳していた二匹が、突然別の空間にやってきて新生活を始めたわけだ。これが人間だったら、変化にストレスを感じるかも知れない。でも猫たちはどうやら「前世」を忘れて、「今」に生きるたくましさを持っているらしい。それでも、二匹の距離のとり方はまだまだ定まらない。

怒るはっか、しょげるにっきを目にすることもある。激突してギャオと叫ぶこともたまにある。はっかは体格がにっきより一回り大きい。いざとなると力で相手を跳ね飛ばす。だのに、餌の時間にはまだ食べているところににっきがやってきて残りを横取りしても、あっさりやってしまう。(もっとも一日の大半を眠って過ごすはっかが大食だったら肥満街道まっしぐら?!)

はっかは気前がいいのか鷹揚なのか。人間はにっきの過食を案じて、はっかが残した餌をそっと片付ける。食欲旺盛元気いっぱい、にっきのやんちゃぶりには笑わせられる。つい、はっかを「お姉さん」、にっきを「おちびさん」などと呼んでいる。どちらも実に愛らしい。どちらも実にタフである。


8/05/2018 「とろける」

猫たちと暮らし始めて三週間。にっきとはっかはそれぞれのスタイルでこの家に(ずっと前から住んでいるみたいに)溶け込んでいる。毎日とても賑やかだ。一日の大半を眠って過ごすはっか。ちょっとした物音にもすぐ耳をピンと立て、様子を見に来るにっき。ゴミ箱の中まで点検するので、フタ付きに変えないと何を堀り出すかわからない。

はっかが気持ちよく眠っているところに近寄って邪魔すると、にっきははっかの長い手で猫パンチを食らう。今日は三連発見舞われていた。はっかはこの暑いのに、クッションの間に潜り込み、トンネルの中で昼寝をしていた。熱中症になりはしないかと案じて覗いたら、ひすい色の目で「ほっといてね」と言われたような気分になった。

昨日も動物病院で結膜炎の薬をもらってきたので、にっきの目もだいぶ綺麗になってきた。目をいっぱいにみ開いて「これなはにかな?」と好奇心のかたまり。だが、何より気になるのは食べ物。ちょっと目を離したすきに、朝食の皿からパンを一切れくわえてテーブルの下へ飛び下りた!すぐ見つかって取り上げられた。

一緒に冷蔵庫に上ったり、戸棚の左右に分かれて座ったり、仲良く舐め合いながら眠ったり、二匹を見ていると人間時間はどこへやら。静かな時も、大騒ぎしている時も、猫の時間に心がとろける。

 

8/04/2018 「ポー」

 「声」

むるるる
と誰かが言った

猫しかいない
猫が
むるるる
って鳴くかしら?

小さい顔が
じっと見上げる
何も言わない
鳴いていない

でも確かに
誰かが言った
むるるる

「ポー」

ポーっていうのは
pawのこと
pawっていうのは
猫の手です

爪が生えてる
クリームパン
私の膝に
ポーをのせ
ごはんの時間と
知らせてる

言葉はないけど
ポーのタッチで
われに返って
ごはんをやった

握手したいな
猫のポーと

 

「なくしもの」

首輪をなくした
キジトラの猫
えりまき型の
水玉模様

どこを探しても
みつからない
木綿のすてきな
ネッカチーフ

かわりに買った
ぱっちん止めの
鈴もついてる
おしゃれなバンド

気にいるかなと
巻いてみた
パニックパニック
キジトラの猫

 

 

こんなものこんなもの
いりません
チリチリなる鈴
きらいです

ひっくり返っても
走っても
かみつこうとしても
外れない

よしよしキジトラ
わかったよ
首輪なんか
いらないね

なくしたえりまき
探しておいで
どこかに隠れた
水玉模様

 

 

 

 

8/4/2018 「金曜の夜」


長い間よその猫を見て暮らしていたこの家の人間は、今もTVで岩合光昭の「世界ねこ歩き」を放映する日はそわそわする。見ないのはもったいない。でも家に猫がいるのにわざわざよその国の猫をTVで見て面白いのだろうか。つい今夜もTVをつけた。「スイスの巻」だった。雄大なアルプスを背景に、牛や山羊や犬とともに猫たちが歩き回る。にっきやはっかはTVの猫に反応するだろうか?

猫が寝そべっていた椅子をそっとTVの前に移動する。まずにっき。おや、これは何だ?画面を凝視しているのが分かる。そのうち身を乗り出して、椅子から飛び降り、TVモニターの近くまで行った。TVの中の猫は人間から食べ物を貰ったり、しぼりたての牛乳を飲んだりしている。にっきの手が画面をタッチ。しばらく見たあと、遊びに行ってしまった。

 

次にはっかの椅子を鑑賞席に。優雅な姿勢のまま、気も散らさずにじっと画面を見ている。何が見えているのだろう。画面に映るのが自分の同類だと分かるのだろうか。ミーミー鳴く子猫たちの声は同じ猫語なのだろうか。にっきが周りで暴れまわっていても、はっかはTVの方を見ていた。

 

家の窓から外を眺めるのと、TV画面でよその国の猫たちを眺めるのと、どこが違うのだろう。人間はリアルとバーチャルを行き来して心を楽しませる。猫はリアルな世界で生きるだけだろう、と思っていた。必ずしもそうではないかも知れない。二匹はTVの猫たちを凝視していた。

箱があればすぐはいるはっか

とても愛想の良いにっき

普段はこんなしっかりものなのに

8/3/2018 「ひとみしり」


豪胆だと思っていたはっかがたいへんな人見知りで、お客様が部屋に入ってきた途端、(猫なのに)脱兎のごとく蓋のない天袋に飛び込んだ。そんなところに空間があるとは知らなかった。大きな鍋と鍋の間に潜り込んで出てこない。居間とオープンキッチンしか居住空間がないとなると、その範囲で最善の策を思いつくのは見上げた根性とも言える。日頃から箱に入る練習をしているおかげか。

 

 

その一方、にっきの外交的なことにも驚く。知らない人でも物怖じしないで、すぐに隣に座ってお話するみたいにニャーと言ったりお客様の手を舐めたり。やんちゃもせずに、じっと座って人間たちの会話を聞いている(ような雰囲気)。相棒が雲隠れしたことなんか、知らん顔。

 

 

はっかはお客様が帰ったあとしばらく、カーテンの陰に隠れていた。(外からはガラス戸に猫の姿がはっきり見えるのだが。)「ああ驚いた!」とハッカは言いたいのかもしれないけれど、それは人間たちのセリフ。引きこもり猫だったんだ!

二匹揃って毎朝外を見る

にっきのワークアウトをちらっと見るはっか

珍しくニコニコ顔のはっか

夏の原っぱにはエノコログサがいっぱい

8/01/2018  「エノコログサ」


人間はとても暑がっている。挨拶の文句も決まっている。「お暑うございます。」「ほんとうに。」これ以外に話すことはないみたい。猫は気にしていない。冷房完備の部屋の外には出ないのだから。涼しい顔をして昼寝をしているだけ。でも、一日中じっとしているわけではない。ハードな運動を日課にしている猫もいる。

  

        

我が家の運動選手といえばにっき。ダッシュ何本すれば気が済むのやら。赤いまきびしが特にお気に入りの運動具。後ろ足で立って、前足で掴むのなんかお手の物。(前足は猫の手なのだろうか?)ワークアウト中のにっきをはっかは時々ちらりと見る。一緒に走ったりしない。

 

 

ところがクールビューティーの異名を持つはっかもじっとしていられないものが!買い物ついでに摘んできたエノコログサを目の前にかざしてやると、そっと手を出す。立ち上がる。追いかける。食いつく。そこへにっき参戦。阿鼻叫喚の立ち回り

 

 

昔の猫はエノコログサの原っぱで好きなだけ遊んでいたのかな。インドア猫になった現代の家猫は、もらったおもちゃで遊ぶしかない。けれど新鮮なエノコログサを見たとたん、野性が目覚める。本物の猫じゃらし、いっぱい生えている。全部タダ!


 

 

叱られました

まずははっかが入ってみる

にっきは様子をうかがい・・・

猫日和はどこへ?

7/31/2018 「叱られて」

穏やかな猫日和が一天にわかにかき曇り、姉妹(もしかすると母娘?)のバトル勃発。小さい方のにっきが、リラックスしていたはっかに飛びついて一喝された。人間もきゅっと緊張するくらい、はっかの叱責には迫力があった。ストレート猫パンチを浴びせ、大きな声で一瞬「ニャロメ!」と言ったのかどうか、よくわからなかったけれど...。

 

 

にっきは睨み続けるはっかの前でうなだれ、すごすご退散。「わー、猫語ってあるんだ!」と見物人たちは感銘を受けた。それからフロアに新しい空き箱が置かれた時も、先ずははっかが試しに入る。にっきはそばに寄ってもとても一緒に入れてもらえる雰囲気ではない。はっかが出た後、カラスの行水のように飛び込んで飛び出した。

   

               

今朝はあんなに仲良く並んで眠っていたのに、今夜二匹は別々の場所で眠っている。う〜ん、猫にも別居があるのか。それは長く共生していくための知恵だろうか、それともただ暑苦しい真夏の夜のせいなのだろうか。

 

 

台所のマットに陣取るにっき

紙袋に飛び込んだはっか。

にっきも入りたいが手提げの紐に阻まれる

7/30/2018 「魚くんくん」

猫たちは魚の匂いに驚くほど敏感だ。人間が夕食に鮭の切り身を焼く、ムニエルをこしらえる、サンマの蒲焼を温める、などということをしようものなら、すわっと寄ってくる。何度台所から追い出しても懲りずに近付く。ホカホカの匂い立つ魚料理を前に人間が食事を始めると、目をらんらんと輝かせて「お相伴に与ります」の顔をする。「猫に塩辛い魚なんか毒なのよ」と言って分かるはずもないが、本能が疼いているのが見え見えだ。(カリカリ餌にも魚フレーバーが付いているのだろう。「知ってます、その匂い!」と言いたげな瞳だ。)

 

食卓に肉料理が出ていても、野菜の煮付けがよそってあっても猫たちは見向きもしないのに、魚には特別な磁力があるらしい。もちろん一切れたりとも分けてやる気はないが、余りにも熱烈な「美味しそうですね。食べたいです」アピールには参る。人間はそそくさと自分の魚を食べ終えて、その皿だけ先に洗ってしまう。匂いの痕跡を消し、猫の凝視を逸らすために。

   

 

そういえば、これまでのところ魚に次いで猫の嗅覚に激しく訴えるのはヤキトリだった。買い物袋から既に匂っていたらしい。にっきが飛んできてくんくんする。はっかもむっくりと起き上がる。同じ空間で別々の食事をせざるを得ない猫と人間の宿命だろう。攻防は果てしなく続く。(♪お魚くわえたどら猫、追いかけて、はだしでかけてく陽気なサザエさん〜というあのテーマソングを思い出す。リアルな歌詞だ!)

はっかはカーテンの後ろに隠れている(つもり)

食事は2階と3階に分かれて.。

無事病院から帰宅しホッとしている二匹

7/29/2018 「デビュー」


にっきとはっかが我が家に到着して二週間。トライアルを終了して一週間。まだまだおっかなびっくりの人間たち。くしゃみをした、息が荒い、トイレの回数が少ないように思う、目やにが出ている、などといちいち心配する。保護猫カフェのボニーさんから譲り受けた目薬や塗り薬がそろそろ尽きるのをきっかけに、本日は動物病院に行ってきた。



二匹をそれぞれキャリーケースに入れ、炎天下保冷剤を二つづつハンカチに包んで猫布団の下に忍ばせ、人間が一人ひとつずつキャリーを下げ、いつもなら徒歩5分あまりの距離をえっちらおっちら。車がないので、徒歩かタクシーの選択しかない。保護猫カフェから運ばれてきた時以来のキャリーに二匹とも驚き慌て、道中ニャーニャー鳴き通し。にっきは敷布団をかぶっていた。

 

初めての病院には犬たちも来ていた。鳴いているのは我が家の猫たちばかり。犬の飼い主さんが珍しそうにキャリーを覗く。診察台からはっかは飛び降りた。にっきはキャリーを出ようとしなかった。それでもベテランのお医者さんたちが上手に診察や検査をしてくれ、異常なし。もう薬もよいでしょうと。汗まみれの飼い主二人を見たお医者さんが、「冷房低くしましょうか?」


診察券も貰い、これから必要とあらばいつでも病院に行ける。本日は飼い主の動物病院デビューだったらしい

7/28/2018  「いいとこみっけ!」

にっきがあまりにも元気なので、てっきりまだとても幼いと思い込んで「生後半年くらい」と書いたけれど、保護猫カフェBoni's Houseのボニータさんから、「1〜2歳でしょう」とお知らせいただきました。改めて、訂正いたします。ごめんね、にっき、思ったよりお姉さんだったのね!どうしても(女の子なのに)『ピーターラビット』のお話に出てくるいたずら坊主の「子猫のトム」を思い出してしまう!朝に晩に猛烈ダッシュを何本走れば気が済むのやら。走り疲れて正体もなく眠っているときは、幼さが隠せない。

限られたスペースの中に、日々新しい隅っこを見つける猫たち。食後に必ず爪研ぎをする専用ボードがある。二匹ともこれまでのところ家具や柱や壁には爪を立てず、そのボードでガリガリやっている。ひとしきり爪研ぎが終わると、そこははっかのベッドとなる。大きさとカーブがちょうど具合良いらしい。専用枕(?)に頭をのせて、爪研ぎ台に丸まっている。その台の脇にある棚とキッチンカウンターの間の隙間にもはまり込んで台所と居間をじっと観察する。

忙しいにっきは、時々箱に飛び込む。中でじっとしているわけではなく、飛び込んでは飛び出すのが楽しいらしい。箱の中のクッションやまきびしを取り出したりまた入れたり。かと思うと、はっかに続いてレンジフードや冷蔵庫の上にも登れるようになった。猫がキッチンで遊ぶのはいかがなものかと人間は思案している。しかし、調理中には厳しく追い出すことにして、掃除も抜かりなくしておくことで、当面は様子見としよう。猫たちの「いいとこみっけ!」の得意顔。

     

 

7/28/2018 「個性」

増えすぎて飼い続けられなくなったお宅から、猫パトロールのママさんたちに救い出された猫たち。しかも二匹とも身ごもっていた。生まれてきた合計八匹の仔猫たちに分け隔てなく授乳し、自分たちが里子に出るまで、保護猫カフェで誰彼なく寄ってくる仔猫たちの面倒を見続けていたというにっきとはっか。そういう話を聞いたり、当時のブログを見ると、たいした猫たちだと胸を打たれる。

仲の良い二匹であることに間違いないけれど、性質はまるで違う。歳の差もあるだろう。にっき(旧名 菫)は保護された本年3月末の段階で生後約6ヶ月。はっか(旧名 蘭)は二歳半くらい。もしかすると親子かも知れないし、姉妹かも知れないこの二匹のジェネレーションが違うことは確かだ。幼猫と成猫といってもいいかもしれない。


にっきはいたずら盛り。今日は遊んでやらなくても自分でまきびしを相手に飛び回っていた。ジャンプ力がすごい。後ろ足で立ち、両手でまきびしを掴む。床の上を転がりまわり、蹴鞠のようにまきびしを追いかけ回す。まったく疲れを知らない。はっかは遊びに夢中なにっきにちっとも関心を払わない。悠然と眠りこけている。そんな二匹が、家族の帰宅に反応するようになってきた。揃ってガラス扉の内側に陣取って待っている。人間は歓迎されるのが面映くてたまらない

7/26/2018  「静と動」

当たり前だが、動物は植物と違って移動する。動くから動物と呼ばれることになったわけだ。それでもじっとしている時もある。猫を見ていると、静止状態の長いことに感心する。室内には外敵がいないから好きなだけ寝ていられる。良い身分だとも言えるし、刺激のない生活に退屈しやしないかと心配にもなる。はっかの卵型の寝姿は、平安の具象画だ。

猫はまた、動くとなるとよく動く。当初見向きもしなかったおもちゃに、にっきが急に反応し始めた。棒の先に長いリボンのついた猫じゃらし、そのまた先に小さなまきびし。サーカスの虎使いが鞭を振るうように(?)棒を揺らすと、にっきはまきびしをめがけて走る、飛ぶ、跳ねる、回る、手で掴む、かじる、寝そべって振り回す、いやもうなんだってやってみる。こんなに活発とは思わなかった。我が家の居間は体育館になった。

二匹揃って思索しているように見えることもある。居間の隣の仏間(仏壇の置いてある部屋)は猫立ち入り禁止にしようと決めていた。しかし、到着直後にはっかが勝手に開けて入り込んだ。物陰に隠れたので引っ張り出すのに難儀した。以来、ドアストッパーを付けて猫の手では開けられないようにしたが、時々人間が出入りするのをじっと見ている二匹。襖は開くのではないかと思っているフシがある。猫の好奇心は不可能を可能にする、かもしれない。

  

7/25, 2018  「猫かぶり」


やけに静かで行儀の良い人を「借りてきた猫」のようだと言う。猫に貸し借りがあるとは思えないけれど、もしかすると大昔はネズミ捕りに隣の「猫の手」を借りることがあったのかもしれない。そんな時、貸し出された猫は最初、神妙にしていたのだろうか。我が家に来た二匹の猫たち、トライアル期間には本当に「借りてきた猫」らしくふるまっていた(ような気がする)。羽目を外すことなく、騒ぐことなく、「へー、猫ってこんなに静かなんだ」と私たちを幻惑した。

 

ところが、つい数日前にトライアル期間終了。めでたく彼女たちは我が家のメンバーとなった。すると、どうやら「借りてきた猫」の期間も終了。「猫かぶり」している必要もなくなって、にっきはやんちゃぶりを発揮し始めた。保護猫カフェ「ボニータハウス」にいた「つよし」というオスの子猫にも負けない勢いで部屋の隅から隅までダッシュ!床の上に何か(蜘蛛?蟻?ゴキブリ?)を発見して、追い掛け回す。ご飯はまだかと猫なで声攻撃をかける!

 

はっかはもっとクールにソフトに、ちらりとこちらを見ながら傍若無人とも言える態度で、好きな場所に寝そべり続ける。人間が脇に座ろうと構うことなし。「踏んじゃうわよ。もうちょっとそっちへ避けてちょうだい」と頼んでも、気だるい瞳で見つめ返すだけ。にっきが目覚めたおもちゃ遊びには全く関心を払わない。とはいえ、二匹仲良く過ごしている所を見ると、一緒に「この家に住むことにするか!」と決めたのかもしれない。


 絹の声で鳴くにっき


ふてぶてしい姿のはっかも鳴けば絹の声

7/24/2018  「絹のような・・・」

テレビのコマーシャルや車内ポスターで、「絹のようになめらかな髪」になると、シャンプーを宣伝していることがある。見た目の艶やかさと触った感じがツルツルで繊細でふんわりと優雅という意味なのだろう。髪の毛にとっては、最上級の褒め言葉らしい。ところで、視覚と触覚に訴える「絹」が聴覚にも適用されることを知った。"Silky voice"という形で。この、「絹のような声」とは、「猫なで声」のことらしい。

にっきもはっかも普段は驚くほど静かで、じっとしているので、いるんだかいないんだか分からないくらいだ。ところが、私たち人間がしばらく留守にして部屋に戻ったときや、空腹時に「そろそろ食事時なのを、忘れてやしませんか?」「お腹がすいたんです」「なんかちょうだい!」と訴える声。その発声は高いトーンで、甘く、愛らしく、幼気(いたいけ)ない。これを「猫なで声」と言うのだろうか。赤ん坊のようでもあり、魅惑の誘いのようでもあり、思わずこちらも同じ声音(こわね)で応えているから驚く!

文字に書くのは難しい。「ニャー」「ニャーオ」「ニャン」「ニャオニャオニャー」、どれも違う。ずっと以前に、作家の中島らもが「猫が来て『み』と言った」という文章を書いていた。不思議に忘れない。猫はたいてい眠っているので、たまさか足元にまとわりつきながら猫なで声で鳴かれると、あらゆる決意を忘れておやつを与えたくなってしまう。まさに、誘惑の甘い罠だ。「絹の声」に抗うには、人間はよほど気丈でなくては。猫はこの声を武器に愛玩動物としての進化を遂げてきたに違いないと思うばかりだ。

7/23/2018  「いっしょとそれぞれ」

「にっきとはっかは姉妹なのかもしれないし、もしかすると母娘かもしれない」と保護猫カフェの主催者ボニータさんから伺った。にっきはこの春に初めて子供を産んだとはいえ、まだ一人前の顔をしていない。どう見ても「中猫」か「子猫に毛が生えたくらい」の幼さだ。この家に来るまで自分の子だけでなく寄ってくる仔猫たちに誰彼の区別なく授乳していたというから、実に感心な母猫だったようだけれど。

一方のはっかは姿もふっくらとして、動きも堂々としたものだ。敏捷なことは、ハイジャンプに長けているところを見ても文句なし。そしてにっきを舐めまわす様子には、どことなく先輩風が吹く。やんちゃな妹か娘を世話している風情。時に構いすぎて嫌がられても、いくらでも舐める。にっきに手をかける様子は保護者の貫禄。

一緒の時間も多いが、別々に行動することもある。はっかは書棚の上でしばし憩い、にっきは珍しく独占したソファの上で、のびのびしている。これしかない空間で来る日も来る日も過ごすのだから、それぞれの場所も見つけられるといいね。


ボニータさんのブログ『猫とのんびり暮らしたい』の中から、「菫と蘭のお届け」(菫-にっき-・蘭-はっか-を我が家に届けてくださった日のこと、また二匹を保護した状況についての詳しいレポートが読めます。)

7/22/2018 「シンクロネコ」

猫の生活はほぼ、食べる、排泄する、身繕いする、眠る、遊ぶ、の繰り返しのようだ。(未だ見せない面を隠し持っているに違いないが。)

その中でも睡眠に費やす時間は圧倒的に長い。話には聞いていたけれど、これほどとは思わなかった。(長年猫を飼っている人には「何を今更!」でしょう。)従来ハンターであった猫が狩りのためにエネルギーを温存するのは生き延びる必須要件であるとものの本に書いてあった。無駄な動きをしないで狩りに備えるのだと。しかし、狩りをしなくなった家猫が本能のままに「食っちゃ寝」を繰り返しているとどうなるか。人間と同様メタボ街道をまっしぐら。そうならないよう、最初から気を引き締めて飼うようにと保護猫カフェで教わった。

もうひとつ、猫の身繕いには感心する。食べたあと、必ず長い「お化粧タイム」がある。手を舐め、その手で顔をぬぐい、腕、足、お尻、背中、あらゆる場所を器用に舐める。二匹揃って同じことをする。並んでそれをやると、まるでシンクロナイズド・グルーミング(synchronized grooming)。二匹いると、それでは済まない。互いが互いを舐めあう。自分では届かない首の周りや、背中も上手に舐めあう。だが、時にお世話が過剰になると、舐められていたほうが突如「フギャー、もういい!」と飛び上がる。喧嘩勃発かと思いきや、他方があっさり引き下がれば何事もなかったようにまたそれぞれに戻る。いつの間にか並んで眠っていて、平和なものだ。

 

7/21/2018 「猫の冒険」

にっきとはっかがこの家に到着して5日め。まだ猫たちも飼い主もおっかなびっくりの状態が続く。けれど猫たちの探究心は旺盛で、毎日新しい活動領域をひろげている。今日は二匹で170cm以上ある書棚に飛び乗ってみた。

まずはっかが本棚の脇にある長火鉢の上でじっと棚を見上げて目測の上「これは行ける」と確信したところで一気にジャンプ。本棚の上で悠々と歩き回る。しばらくするとにっきが棚の上のはっかを発見。さあ、自分も行きたい。ちょっとへっぴり腰で同じようにジャンプ!おっと、片足が引っかかって危うく落ちるかと思われたところ、腕力で(?)なんとか上れた。

しばらく二匹で棚の上を徘徊する。はっかは満足するとすぐ降りてきたが、にっきは下り方が分からず棚の上で眠ってしまった。どうなることかとしばらく静観していたのだけれど、いつまでも降りてこない。はっかはとっくにいつものソファで優雅に眠っている。

・・・その後、人間のおせっかいで救出されたにっきは、はっかのそばへ行き、二匹重なりあうように眠る。(明日の朝まで放っておいてもよかったのかな?)

7/19/2018  「好きな場所」

朝食のあと、運動のつもりなのかはっかはやおら高所への跳躍を始める。どうやら毎日新たな地平へと領地を拡大しているのか、本日は冷蔵庫の上だった。昨日のレンジフードよりやや高め。日々新記録に挑戦中らしい。ずっとそこに留まるわけではなく、「できた!」という気分をまとって下りてくる。「ダメ」という理由もないので(考えつかない)阻むつもりもないが、冷蔵庫の上は埃だらけだったかもしれない。はっかのお掃除点検が入っている感じもする。

毎朝、空気の入れ替えに居間の窓を開ける。先日作成した脱走防止装置のフェンスが早速役立っている。がっちりバリアを立てると猫たちが寄ってくる。二匹揃って風に吹かれながら、外の物音や様子を見ている。出たいと騒ぐことはない。一緒に同じ方向を見るので、後ろから眺めていると面白い。外はどんなふうに見えているのだろう。一生を室内で過ごす深窓の猫たちの目に。

人間が物を食べる時、どうしても「私たちには何もないんですか?」の顔で見つめる。「ないのよ」とにべもない私に、「そうですか、どうしてもですか」の顔でまじまじと見上げる。これから毎日、この目で見つめるのだね。食事は完全に別々が幸せ。昨日も今日も午睡の後、オヤツをやったら私は娘に叱られた。太らせてはいけない、偏食を促してはいけない、特別な時のご褒美に取っておくべきだと。確かにその通り。実験は終了です、猫たちよ。

7/18/2018(2) 「気ままな二匹」 (にっき)

お地蔵さんのような前掛けを首に巻いてウトウトしているにっき。部屋の随所に気に入ったコーナー を見つけている。 昔、宮大工のお爺さんが作った長火鉢の上にクッションを置いたらどうやら居心地が よいらしい。それにしても、寝るのが 仕事の「ねこ」にふさわしく、彼らは日がな一日よく眠る。

人間が座りたいと思う場所は猫にも具合が良いらしい。奪い合いになる。「ちょっと座らせて」 とどいてもらい、よっこ らしょと座ると、今まで猫が眠っていたシートはほんのり暖かい。

猫じゃらしのようなおもちゃではちっとも遊ばない。...と言うより、誘いに乗ってこない。あくまでも、どこまでも自分たちのお気に召すままのコンビです。

7/18/2018 (1) 「気ままな二匹」(はっか)

はっかの姿が見えない、と慌てて周囲を見渡すと思いがけないところにいる。今朝はレンジフードの上に座っていた。 どうやって登ったのか現場は見ていないのでわからない。あれよと思う間に、ひらりと降りた。猫に必要なのは 水平スペー スより垂直スペースですと保護猫カフェの主催者が言った通りだ。ただし、「焼き猫」にならない よう気をつけねば。

 

7/17/2018 「到着した日」

リアル猫到着。既に居場所を見つけて落ち着いているのは蘭改め「はっか」(上)。その名を(猫自身が)認識している わけではないけれど「はっか!」と呼びかけてみる。その度にこちらのほうがくすぐったい。長い間、私たちは道端の野良猫 を観察するだけの「猫片思い」だった。よくぞこの家に来てくれたねとほれぼれ眺めている。はっかは(こう見えても)警戒 しているのか、まだ餌をほとんど食べない。室内偵察は抜かりない。時々完全に気配を消して物陰に隠れる。その度にいなく なったのかと新米飼い主は肝を冷やす。

一方、到着した途端に好奇心丸出しで、動き回り・嗅ぎ回り餌や水をやれば食べまくり・飲みまくり、派手な音を立てて トイレの砂を撒き散らし、活発なのが菫改め「にっき」(下)。二匹ともスパイシーな名で呼ぶことにした。おそらく二匹 とも私たちの生活に様々なスパイスをふりかけてくれることだろう。

到着からひと晩明けて、猫たちは本来の性質を発揮しよく眠っている。知らないところに来たのによく平気だね、 というくらい眠りこけている。だから、飼い主の方も平常の生活を続ければ良いようだ。猫たちはそのうち別の本性を 現すのではあろうが。

7/13/2018  「BCの記録」(3)

BCは"Our Life Before Cats Came"(猫が来る前の暮らし)ということにしよう。「期待と不安の日々」。

これまで我が家にはなかったものが増えていく。俗に言う「猫グッズ」だ。餌用・飲み水用のボウル、トイレ、爪研ぎ、 キャリーケース、ブラシ、洗剤、等など。これから餌もトイレ用の砂(もどき)も要る。さらに、首輪だとか寝床だとか。 まだ猫自体は到着していないから、周辺状況だけが進行するというおかしな具合なのだけれども、迎え入れる体制を整えな くてはということで、「エアー猫」を念頭に人間だけが狂想曲を奏でている。

7/11/2018 「BCの記録」(2)

BCは"Our Life Before Cats Came"(猫が来る前の暮らし)ということにしよう。「期待と不安の日々」。

ただの窓である。それに格子フェンスを取り付けた。空気を入れ替えるために窓を開けた時、猫が飛び出さないように。 家の中だけで猫を飼うにはいろいろな工夫が要るようだ。人間にとっては何でもないようなものが猫には危険物となる。 早速室内の片付けから開始。改めて点検すると、まああるはあるは、いらないものがいっぱい。なんだか猫に城を明け渡す ような気がしなくもないが、柄は大きくても小さくても命一つは同じ命。お互い寿命まで共存するには、大きい方が小さい方 に譲らなくてはならないことのほうが多いのかもしれない。

7/9/2018  「BCの記録」(1)

BCは"Our Life Before Cats Came"(猫が来る前の暮らし)ということにしよう。「期待と不安の日々」。

まだ猫はいない。けれど猫が来る予感がする。そこで、このページを開設することにした。もし本当に猫が来たら、 ここで猫との暮らしを綴ろうと思う。猫がどんな姿を見せてくれるか今は未だ想像もつかないけれど、おそらくこれまで とは生活が随分変わるのではないかと予想できる。さて何を用意したら良いものやら。昨日保護猫カフェに行って主催者 の方々とお話をしてきた。その指南に従って先ずは基本的な環境整備だ。

左の写真は保護猫カフェBoni's House付近の風景