「共謀罪新設法案に反対し、与党による強行採決の自制を求める」 

     社団法人 日本ペンクラブ会長 井上ひさし

     2006年5月15日

 いままさに日本の法体系に、さらにこの国の民主主義に、共謀罪という黒い影が覆いかぶさろうとしている。自民・公明の両与党は衆議院法務委員会において、一両日中にも共謀罪導入のための法案の強行採決を行なうつもりだという。
 私たち日本ペンクラブは、文筆活動を通じ、人間の内奥の不可思議と、それらを抱え持つ個々人によって成り立つ世の中の来し方行く末を描くことに携わってきた者として、この事態に対して、深い憂慮と強い反対の意思を表明するものである。
 いま審議されている共謀罪法案は、与党が準備中と伝えられるその修正案も含めて、どのような 「団体」 であれ、また実際に犯罪行為をなしたか否かにかかわりなく、その構成員がある犯罪に 「資する行為」 があったとされるだけで逮捕拘禁し、厳罰を科すと定めている。法案の 「団体」 の限定はまったく不十分であり、また 「資する行為」 が何を指すのかの定義も曖昧であり、時の権力によっていくらでも恣意的に運用できるようになっている。
 このような共謀罪の導入がこの世の中と、そこで暮らす一人ひとりの人間に何をもたらすかは、あらためて指摘するまでもない。民主主義社会における思想・信条・結社の自由を侵すことはもちろんのこと、人間が人間であるがゆえにめぐらす数々の心象や想念にまで介入し、また他者との関係のなかで生きる人間が本来的に持つ共同性への意思それ自体を寸断するものとなるだろう。
 この国の戦前戦中の歴史は、人間の心象や意思や思想を罪過とする法律が、いかに悲惨な現実と結末を現出させるかを具体的に教えている。私たちはこのことを忘れてはいないし、また忘れるべきでもない。
 そもそも今回の共謀罪法案は、国連総会で採択された 「国連越境組織犯罪防止条約」 に基づいて国内法を整備する必要から制定されるというものであるが、条約の趣旨からいって、人間の内心の自由や市民的活動に法網をかぶせるなど、あってはならないことである。にもかかわらず、法案は六百にもおよぶ法律にかかわり、この時代、この社会に暮らすすべての人間を捕捉し、その自由を束縛し、個々人の内心に土足で踏み込むような内容となっている。
 このような法案に対しては、本来、自由と民主を言明し、公明を唱える政党・政治こそが率先して反対すべきである。だが、与党各党はそれどころか、共謀罪の詳細が広く知れ渡ることを恐れるかのように、そそくさとおざなりな議論をしただけで、強行採決に持ち込もうとしている。こうした政治手法が政治それ自体への信頼を失わせ、この社会の劣化を招くことに、政治家たる者は気がつかなければならない。
 私たちは、いま審議されている共謀罪に強く反対する。
 私たちは、与党各党が行なおうとしている共謀罪強行採決を強く批判し、猛省を求める。