風のたより


13 闇に吹く風


嘘をつけ永遠のさよならのかわりに

やりきれない事実のかわりに
たとえくり返し何故と尋ねても 振り払え風のようにあざやかに
人はみな 望む答えだけを聞けるまで尋ね続けてしまうものだから
君よ永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ 出会わなければよかった人などないと笑ってくれ

  中島みゆき 「永遠の嘘をついてくれ」


既に夏はいく。急に衰えた日差しの中で、あの熱を茫然と思い起こしている。勇躍と旅立った日のこと、乳白色の露天風呂、草いきれの中の登山。何十年ぶりかのラジオ体操。怠惰とくつろぎ。仕事を離れての交友。それから街角の人混みも映画館のざわめきも。夏故に全てが特別であったような錯覚。毎年くり返していながら、何故こうも夏の終わりは虚しいのだろう。夏への期待が叶った人がいるなら、祝福しよう。だが、もし失意のうちに夏を葬ろうとしている人がいるならば、黙って痛みを分かち合おう。もう何も言わなくていい。私も何も言うことはない。慰めも励ましも、ましてや知ったふりした忠告など。闇の中を流れた言葉。言葉は何の役にも立たないことだけが分かった。言葉で傷つけ合い、遠ざけ合い。それでも語らずにいられなかったのは何故なのか。そんな問いかけも既に無用だ。少しだけ強がって秋を迎えよう。知らん顔して通り過ぎよう。夏を埋めて。いつの日か、そっと取り出して思い出の芳醇な香りを懐かしむことのできるときが来るまで。

ここでは少し物語の断片を積み上げてみようと思う。主人公が誰なのか私にも分からない。人々の様々な思いを自分の思いに重ねて、闇の中を吹き抜けていった夏の熱風の跡を留められれば、と。
深い夏の闇を抜けた先に希望の光が射すように。


地下鉄 地下鉄の窓に映る 女の顔 あれは誰 腰掛けて 手すりにもたれ どこか遠くを見ているね 地下鉄の窓の外に 見えるものがあるの 流れてゆく闇と 灰色の壁 いいえ よくごらん ほら 見えるでしょう あの街が あの人が 過ぎた日々は 闇の中だけにある 女はほほえむ かすかに頷く 眉をひそめ 目尻を拭う そして立ち上がると 降りてゆく どこへ? 聞かないで どこへなんて 追いかける者もなく 引き留める者もない そんなことには 慣れている でも 覚えておいて 地下鉄の窓に映る 女の顔が ほほえんだこと 今 この命を生きるなら それでいいと頷いたこと 通りすがりの女さえ 闇の中で 頷いていたことを

花摘み 心にことばが咲く日には 摘むのも間に合わない 滴るような赤い花 凍るような青い花 脅すような黒い花 どれにも私は手をのべる 摘んで集めて両手に抱き 顔を埋めて匂いにひたる 花ことばは知らない 摘むのはことばの花 贈られた人にだけ 私の花は話しかける もしもあなたに届いたら 私の花をどうするの 胸にしまう 食べてしまう それとも放り投げて 踏みしだく 私の花に用はない 私の花は萎れかけ 色香は失せている ときには棘がある 束ねるほどにたくさんの 私の花は重すぎる そんな声をいつか聞いた 苦い思いを重ねた私 それなのに今日もまた 夜の訪れを待ちかねて ことばの花を摘み歩く 赤い花 青い花 黒い花 ことばの花が咲き乱れる

打ちのめされて 眠れない夜 苦しみの夜 打ちのめされて 残酷な夏の夜 毛布に潜り込むには 暑すぎる どちらを向いても 胸が痛い いっそ起きて明かりをともし 闇を消してしまおうか ことばが頭に響き続ける 打ちのめされて 残酷な夏の夜 こわばった自分の顔が いつまでもこちらを見ている 何度シャワーを浴びても 流せないのは この思い 人生が美しいなんて言うのは誰 打ちのめされて 残酷な夏の夜 すれ違い 見失い かみ合わず 背き合う こちらの思いは空回り あちらの思いは逆回り かすかな夢は砕け散り 打ちのめされて 残酷な夏の夜 傷の上に傷を重ね 慰められても説教されても 癒えぬ病を抱え込む 眠れない 夜は明けない

窓辺    朝も昼も 窓辺に寄って私は眺める 往来の人の流れを 知った顔はいないか 懐かしい姿はないか 通り過ぎる見知らぬ人たち 窓を見上げる人もない 夜にまた 窓辺に寄って目を凝らす 確かに誰かが佇んだ 姿はないが気配が残る 誰にも見せないその顔 足音一つたてず 窓辺に佇んだ人がいる 何も言わずに立ち去る人 私には分かる 誰なのか 結び合うことのない絆 触れ合うこともない手 私は哀しく目を伏せる 静かな夜に訪れる 孤独な足跡を忘れない 呼びかけはしない  ただ黙って感じ取る 窓を隔てた二つの世界 何と遠い 何と遙かな 窓辺に寄って心に描く ここに佇んだ人の 寂しく誇り高い面影

光のかけら 夢の出会い 声は聞こえない 話も覚えていない ただ並んで歩いた 行き先を聞きもせず 歩くわけを問いもせず 現の語らい 激しいことばが胸を刺す この世の絆の結び目を 堅く絞る 二つの影 共に生き延びようと 光を探す長い旅 夢は夢 旅は旅 辛い夜は重なって 思いがけずに響き合う 夢の中で 旅の中で 別々に溢れる思いが きらきらと反射する 闇を抜けて光に至れ

陽気な夜 さあ 暗い顔なんかしてないで あんたも出ておいで あたしが歌うこの店は 角を曲がった路地の奥 ちょっと古びた構えだが 磨いたテーブル 洒落た椅子 あんたのためにとっとくわ ほら しけた顔ですねないで あんたも出ておいで あたしの歌を聴いた夜には 誰だって生き返る お酒のせいじゃないからね くよくよしてても始まらない なくしたものは出てこない そりゃ 思い出は美しい 逃した魚は大きいと 誰だって言うじゃない 隣の芝生に寝てみれば 思うほどには柔らかくない あたしの歌を聴きに来て 陽気な夜をあげるから どれ 聞かせてもらおう あんたの話を始めから 終わりがないのは分かっているわ ハッピーエンドじゃないものね 夜は暗いに決まってる だったら聴いてあたしの歌を 陽気な夜にしてあげる ええ 何度でもアンコール 夜明けまででも歌えるわ 夜があたしの出番だもの うぶな恋 すれた恋 別れの歌に 情熱の歌 何でもいいから注文を あんたのために歌うから じゃ 一足先にあたしは行くわ あんたも出ておいで あたしの歌を待っている 陽気な夜を待っている お客の元へあたしは行くわ あんたの顔が見えなくても もう呼びになんか来ないわよ いい あたしの誘いは一度だけ 誰にだって一度だけ あたしの歌が聴きたけりゃ あんたも出ておいで 陽気な夜が欲しいなら 歩き出しなさい あたしの誘いは一度きり

夏の扉を閉じて いい夏だったという人たち 夏の終わりの負け惜しみ 本当は一つ年を取っただけ 本当は一つ悲しみを忘れただけ 美しい思い出という人たち 夏の終わりの決まり文句 本当は芝居が上手なだけ 本当はサングラス越しの風景 素敵な出会いという人たち 夏の終わりの白昼夢 本当は光の手品 本当は熱の魔術 この季節よ続けという人たち 夏の終わりの下手なお世辞 本当は安堵している 本当はウンザリしている 夏の扉を閉じて 街へ戻ろう 良くも悪くもなかったと素直に認め いつもこんなものよと微笑んで 夏の残骸を片づけよう 背中に響く波の音 耳に残る風の声 深く吸った野の香り そしてあなたと交わした言葉 夏の扉を静かに閉じて 深い闇に目をつむる


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