風のたより



4. 風の歌

諧謔を競う俳句より、短歌の方には主観が色濃く出そうです。定型の枠の中でどれほど表現に抑制を利かせられるのか試しながら、歌いたい思いを少し解き放ってみようと思います。曖昧さとか飛躍とか、自分の勝手な思いの表現には他者に伝わりにくい要素が多いことでしょうし、言わずもがなの夾雑物がごろごろしているはずです。一昔前ならこの様な腰折れが人の目に触れる機会は先ず無かったでしょうに、World Wide Webは望むものには公平に詩作の公表までも可能にしてくれます。そのことが言語表現の「量産」に直結するのは当然としても、質の向上に貢献するかどうかは未だ判然としません。書かれるべくして書かれたものも、そうでないものも同列に並べてみせるところが皮肉でもあり、滑稽でもありましょう。ともかく、習作を公表して自分だけが読者になろうが嘲笑されようが、あれもこれも何でもあり、というところにインターネットの怪しさが生きています。前置きはもうこのくらいで。




万緑の滴る路で口ずさむ
         歌を吸い取る空の遠さよ

万巻の中を彷徨い手を延べむ
         今日より暫し旅立つ糧に

聞きかじり探し当てたるCDに
         覆されぬ平衡宇宙

果て無しと知れど添削続けおる
         青き英語らしき文字列

唐黍の一山西瓜四半分
         書類鞄に拮抗させて

寄せ太鼓打ち鳴らしおる少女らに
          混じる一人を孕みたりしか

ウィルスに冒され発熱する夫(ひと)に
          ファイアーウォール立てざる迂闊

帰省すと乙女は笑い叩きたる
           荷物の中のノートパソコン

吹き出すは紅一点と歌われし
           緑を乱す石榴花なり

詩を詠む雨の黄昏虚しきは
           メールに応える人の無ければ

夕餉待つ子に乞われしも席立たぬ
           母を捉えしモニターの文字

楠を見上げる席の居心地は
           ビジネスランチという味気なさ

「窓」を開け「林檎」をむきて並べ置く
           恋敵にも似たるマシンよ

ピアニッシモ重なる声に聴き入れば
            それが何語と問うも愚かし

逆光の煌めく川面渡るとき
           車窓見つむる習い捨て得ず

読みませと一度本を手渡せば
            返るあて無しその元に居れ

失神す若き体はゆたかにて
           抱き留めし我倒れむまでに

父のいたホスピスのある駅なれど
             もはや降りる理由(わけ)も消え果つ

知り難きことは尊し我もまた
             持つ醜さの見えぬ幸せ

ものを言う資格持たざる我なれど
             一人ノートに書く自由有り

浮島に戯れし亀逃げ行かむ
           汚水は旨し人の影より

高らかなアーチ変わらぬ聖橋
           放る檸檬の無くて久しき

お茶の水スクランブルに出会いたる
              人をかき消す時の空白

上野行き上り列車というだけで
              短き旅を気取る我なり

この街はなべて貧しく醜しと
            荒川土手の緑囁く

紫陽花を垣根に誇る茂み有り
           誰か訪ねむその奥の闇

指定券郊外電車の半時間
          一人に潜む時を買いたり

June 12, 1998


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