SHORT ESSAYS
An Essay for Salon, 2024 |
「英文学の楽しみ―21世紀流」
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「英文学の楽しみ―21世紀流―」 始めに―自己紹介を兼ねて 英文学の作家と作品案内: (1.) Shakespeare, Wordsworth, Brontë Sisters, George Eliot, etc. 21世紀に読む英文学のたのしみ 北田敬子 これは、2024年3月16日に「キヨ友の会」『サロン』での講演原稿です。
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(4.) Kazuo Ishiguro 最後にもう一人注目すべき作家のことをお話ししたいと思います。 最新作のKlara and the Sun 『クララとお日さま』(2021)はAI(artificial intelligence)―作中ではAF(artificial friend) ―と呼ばれる人工頭脳搭載の人型ロボットが主役の物語です。Klaraはジェジーという少女の相手をする友達としてAFショップで買い求められ、一時はひどく病んだ少女を何とか助けようと献身的な努力をするものの、数年後にはもうそのような相手を必要としなくなった少女の家から廃棄処分されていきます。この作品では人間を細かく観察し人間の心理や行動を学んで人間の望みをかなえようと律儀に振舞うアンドロイドKlaraが語り手を勤めます。Klaraの目に映る人間と近未来の人間社会、そしてKlaraの中ではほとんど信仰の域に達している太陽崇拝。SFのジャンルに属する作品というには余りにもソフトな、繊細なAFの内面が表出されているので、読者は思わずKlaraに「人間味」を感じてしまいかねません。Klaraを購入した家族とその周辺の人々のKlaraに対する扱いは、「道具」です。「人間の友」としてAFを迎えた側としてはあまりにも無慈悲で無責任なのではないかと(現代の読者は)思いかねません。この小説はAIなりAFなりと共存することになった人間は今後どのように自らの創造物と対峙していくかを問うているように思われます。そこで必然的に浮上するのは、「心」はどこにあるのか。「心」とは何かという問いです。ジョジーの両親から娘の総てを学び娘が病死した場合はジョジーに成り代わることを求められたKlaraが父親とそれを話し合う場面があります。 どこまで行っても捕まえられない「心」は頭で・観念でとらえようとしても叶わない、科学技術では如何ともしがたい領域があることを示唆するようでもあります。しかしまた、そのような議論さえ踏み倒してAI技術が進行し、人の制御を超えてしまったらどうなるのかという問題を我々が放置するわけにいかないことがKlaraには仄めかされています。 21世紀に読む英文学のたのしみ <結びに> 英文学にはロマン派の詩人Shelleyの妻Mary Shelleyが書いた『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』(Frankenstein: or The Modern Prometheus 1818年)という作品があります。フランケンシュタイン博士が作り出した名もない人造人間が(その醜さ、おぞましさの故に)人々から嫌われ絶望して北極海に逃亡するのを、博士が追いかけてゆく物語です。怪物は「フランケンシュタイン」と博士の名前で呼ばれるようになって、今日まで異形の存在の代名詞のように扱われてきました。人間が創り出したものが手に負えなくなったとき、創造されたものはどうなるのか―。Klaraと通底するものがあります。 「人工頭脳」の、あるいは「怪物」の自律的な存在と振舞の可能性について考え、対処の道筋を示すことができるのは、テクノロジーの専門家だけではないはずです。むしろ想像力を駆使して文学にも「未来」を予見していく役目がありそうです。古典を紐解くと現代につながる主題を発見するのは稀なことではありません。言葉の芸術を通して私たちが獲得してきた精神の繊細さや逞しさに、未来を切り開いてく力があるとしたら、こんなにスリリングで楽しいことはありません。 駆け足で英文学の作品をほんのいくつか取り上げて参りました。あまりにも膨大なストックを誇る英文学をこれからの時代にどのように読んでいけばよいか目くるめく思いです。ただ言えるのは、どの言語にも、どの民族にも国家にも、人間の行為と心が記述されて残ることで、今、目の前には見えないものをも掘り返し想像し、理解することが可能になるのないかと私は考えます。入り口や経緯は違っても、英語を修得してきた私たちが英文学に接することは、時を超えて言葉の芸術を享受するチャンスを得ていることになるのではないでしょうか。本日は触れられれなかったジャンルや時代についても興味をお持ちいただければと思います。英文学とは英語で書かれた作品を網羅する(国境を越えた)総合的な概念です。それらがかつての大英帝国の光と影を背負うものであることは言うまでもありません。 < 前のページへ |
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