From Yuko to Keiko 8/16/1999 「Oxfordから(8)」 (Oxford)
From Keiko to Yuko 8/18/1999 「Re:Oxfordから(8)」 (Tokyo)
From Yuko to Keiko 8/16/1999 「Oxfordから(8)」 (Oxford)
Dear Keiko
ちょっとタイムラグがありました。返信の中身が前後していることはお許しを。
真夏のキムチ鍋(すごいね!)蚊取り線香。久しぶりに日本の暑いそして
ナツカシイ夏にワープした。もう6年も真夏の日本にいないからね!
これはboastingのつもりじゃない。また余談だけど夏のキムチは
豚キムチの一皿に限る。すばやくできることにかけては第一級だし汗の
出方も半端じゃない。我が家はこれです。もちろん作り方知ってるよね。
知らなかったら今度,教えるね。それぞれ、これがベストの豚キムチという
ものもあろうし。こういう家庭的な話題もいいね。ネットで世界のレシピ−が
飛び回る世界もちろんあるのでしょうね。
>「隣のMicとMichel」っていうのはあなたの家の間借り人達でし
Mic and Michel は隣の家の住人。クリフ・リチャードの照明の仕事をしていて
何度か日本にも来た事がある。もっとも、「成田、仕事、成田、Go Home」
状態で日本に行った事があると言うのは恥ずかしいくらいだと言ってた。
私の家があるCavell Roadの住人達も健在です。私の家の三つのフラットに住んでいるのは管理を任せてあるLindaと娘のMillie。
1階のもう一つのフラットにはDeneseというカレッジに通っている50歳くらいの
女性。同じく今年からカレッジに入った自分の息子を、別れた夫の元に残しての
一人暮らしです。時々この息子さんが母親に会いに来ているけど、いい男だよ。
母子関係も良さそうで、「家族」が心地よく暮らすスタイルって様々だよね。
私の家族の暮らし方のスタイルも刻々の変化を見せている。
来年は子供達はオックスフォードに一緒に来ないなんてことにもなり得る。
良き家庭をベースに、家族がそれぞれ自由にそして自信に溢れて自分の
行きたい方向に歩いていくのが理想。我が家ではもう親が子をサポートする
ばかりだった時代は終わり、あと少しで4人が自立した関係で付き合って行ける
日も近いような気がする。将来の自分を考えれば、サポートしたりされたりする
立場によらず相手の自立した個性を大事にしたいなあと思う。
Lindaは10月から半年間Millieをつれてモロッコに滞在。その間優秀な管理人を
失う事になるけど。冬の間、庭はそんなに手がかからないし、借家人(?)も手が
かからないから。何かあればTonyが飛んで来てくれるだろうし。ここの人間関係
なしにはこの家は維持していけない。Lindaには管理の仕事をしてもらえるのは
ありがたいけど、早く自分自身のやりたい事を見つけてほしい。彼女がここで
ハッピーである事が私の幸せでもありますから。モロッコ行きで何かを見つける
ような予感がする。ちょうど私がここで見つけたように。
>私たちが84才になったとき、どんなことしゃべっているか
リスボンの街で将来の私達を偶然見かけたよ。二人のおばあさんが繁華街の
ベンチで何時間もエネルギッシュにしゃべり続けているの。その日何度か同じ所を
通りかかったんだけどね、同じような姿勢で変わらぬハイトーンで4,5時間は
しゃべり続けてたみたいよ。激しい調子で飽きもせず何を話しているのか。
異国の言葉にそれをうかがい知る鍵もなく・・・ひとりは私でひとりはあなた。
どうやら嫁の悪口や痛い腰のことではなさそう・・・
さて、私の「自己言及的」なお喋りに終始した感のあるこの書簡もそろそろ
終わりに近ずいた。余す所一週間。この夏の滞在はメールのおかげで
確かにいつもの夏と違っていたよ。季節は早くも初秋の気配。久しぶりに
高く晴れた空。いい風の中を川辺の方に散歩に行って来ます。ひとりで。
From Yuko
>たっけ。復習しておかないと、こんがらがりそう。
>想像できる?多分あっちが痛いこっちがおかしい、なんて
>ことはさておき、過ぎし日々の情熱やこれからの夢なんて
>ことを性懲りもなく語り続け、まわりの人々の怪訝な視線
>もどこ吹く風、ってなもんじゃないだろうか。いい気なも
>のね、女というものは。それで地球は持っている、という
>ことにしておきましょうか。
From Keiko to Yuko 8/18/1999 「Re:Oxfordから(8)」 (Tokyo)
Dear Yuko
私が短い旅行に出かける前夜、丑三つ時にこの「往復書簡」をWWWにアップしました。あなたからのメールを読んで、特にリスボンのおばあさんの所では、おかしいような悲しいような、何とも言えない気分になりました。だからすぐさま返事が書きたかったのだけれど、そこは心を鬼にして、あなたが今年のOxfordを離れる前になんとしてもページを公開しなくてはと、追い込みに精を出していたの。リンクを整備して、もう一度中身を確かめ、番号を確認して、サーバに送り込む時、流石に緊張しました。何故なら、このようなメールの公開というのは、私にとって初めての経験。Webにのせるからには、誰が偶然目にするか分からない訳でしょう。この程度のものでも、publicationには間違いないのですから。
何とか12ページまでアップし終えて寝たのが2時過ぎだったでしょうか。いつものことながらパソコンの前にいると時間の感覚が希薄になって、つい夜更かしを。でも、翌日から自宅を離れるとあっては、不在の三日間が惜しいような気がしてどうしても「公開」に持っていきたかったのです。(読んで下さる方があるかどうかも分からないのに、おかしいですね。)
ところが、翌朝寝不足の眼をこすりつつパソコンを立ち上げたら、驚くなかれ、第一の読者から短いけれど心のこもったメッセージが届いているではありませんか。私たちの予想を超えた「饒舌」には驚きましたが、との但し書き付き。(いいかいYuko、「饒舌」とか、「冗漫」というのは決して褒め言葉じゃないんだよ。覚えておこう。)まあ、私たちのお喋りが、人を楽しませる以上に当惑させ、びっくりさせてしまったのは確かなようです。既に、リスボンのおばあさんたちだわ。
それからあなたが知らせたのね、懐かしい学生時代の友達からは、ピリッとしたメッセージがHPのGuest Bookに記帳されましたね。あなたの所へは、それぞれの方からメールが届いたとのこと。こんな風に遠く離れたところにいる人々が、同時多発的に私たちのささやかな試みを覗いて、反応して下さる。閉ざされた本物の手紙ではこうはいかないでしょう。その後、旅行から戻ったら、別の人たちからも「読みましたよ」というメールが届き、本当に嬉しかった。辛口のご批評も含めて、自分たちが書いたものの読み手が存在すること自体に、私は限りない喜びを感じます。そして、いただいたメールからまた新しい話題が始まって広がっていくこともあります。
あなたの歌を聴きに来て下さる方があるように、私たちの「往復書簡」を読みに来て下さる方がある。インターネット上のものは基本的にすべてただですから、ここにはチケットはいらない。そういう意味では勿論歌うことと書くことは別ですが、人に接するということでいえば、類似点もあるでしょう。私たちが小さなことでも大まじめに、気取らないで心を開いて語り合う姿勢を貫けば、そこからまた誰かとの繋がりが始まる可能性もあるでしょう。
メールによる「往復書簡」を公開するというのは、広場に座って話している二人のそばを様々な人が行き交い、ちょっと立ち止まってお喋りに加わり、また去っていくのにも似ていませんか。これは結構おおらかな光景じゃない?眉をひそめて行き過ぎる人を無理に引っ張り込もうというわけではないし。
なかなか止まないお喋り。そろそろ日も暮れそうよ。
From Keiko
To the Next Page
BACK to the TOP PAGE
BACK to HOME