初出 田崎清忠主催
Writers Studios
2018年 10月 11日

散策思索 06

「 築地によせて 」

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「 築地によせて 」

K. Kitada

遂に築地の東京都中央卸売市場は閉鎖され2018年10月11日「豊洲市場」が開かれた。移設問題は長引き、一旦決定されたものが小池都知事の登場で延期となり議論沸騰の末、結局は豊洲開場となった。(築地市場の全面改築というプランは過去に幾度かの試みの末、予算・工期の難題が解決できずに頓挫した。)観光名所として国内外からの集客を誇る「築地場外市場」は名前もそのままに存続する。報道によると築地市場の消滅で、これまで魚や野菜の廃棄物というお宝を頂戴していたネズミたちが行き場を失い、銀座など周辺地域に拡散するのではないかと危ぶまれている。そもそも築地市場の閉鎖・移転は、施設の老朽化と敷地の狭隘が最大の原因だったけれども、それに伴う衛生管理の難しさも一因といえよう。目に見えないところでじわじわと巨大な市場は崩壊し始めていたのか。しかし、移転先の豊洲には土壌汚染の問題を始め、幾多の課題が待ち受けている。東京の台所に大鉈を振るったことがどう展開するのか、これからが正念場だ。

築地は、しかしながら市場だけの街ではない。築地市場を空中から眺めることのできる場所が近隣には少なくとも二つある。一つは朝日新聞本社の社屋であり、もう一つは「国立がん研究センター中央病院」である。前者は一般人がそう簡単に踏み込める場所ではないが、後者は患者・その家族・見舞い客・医療関係者・ビル内の従業員とさまざまな人々が出入りするので、築地市場を上から目にする人の数は、新聞社社屋よりずっと多かったと思われる。私もその中の一人として、かれこれ16〜17年も築地に通っている。市場閉鎖に伴って私が最も危惧しているのは、跡地の再開発がどのように行われるかということだ。

病院というと薄暗く混雑した陰鬱な場所というイメージがあるけれど、現在の中央病院は幸いなことに、開放的で明るい作りになっている。さもなければがんという病と付き合う患者には酷なことだ。私の父が前世紀末にかかった時はまだ新建築が完成する前のこと、老朽化した病棟は陰陰滅滅としていた。肺を病んでいた父は通院自体が困難で、地下鉄東銀座駅の階段の昇降という最初の難関を踏破するのもやっとだった。急げないために、午前中の予約に間に合わせようとすると、付き添いの母と共に近隣のホテルに前泊したものだ。その頃私は「通院可能な体力と潤沢な費用捻出のあてがなくてはがんセンターの患者にもなれないのでは?」と憤っていた。

時は巡り、今世紀初めに新築なった中央病院のエントランスホールは一階から三階まで吹き抜けの、採光の良い空間になっており、各診療科も検査室もスタイリッシュで合理的な設計で出来ている。もちろんどんなに器が良くても医療の中身が伴わなければ宝の持ち腐れになるのは言うまでもない。(病院評価ということになると、この病院を通過していった夥しい数の患者には、それぞれの言い分があることだろう。めでたく快癒した人は高評価を下し、再び帰らぬ患者の家族は不満をかこち続けているかも知れない。)一つ特筆したいのは、入院病棟が高層階に集中しており病棟の半ばに各階とも「展望ラウンジ」が設けられていること。ここから、眼下に築地市場の全貌が見晴らせ、浜離宮の緑陰から東京湾まで巨大なベイエリアの眺望が広がる。レインボーブリッジもよく見える。夏には「東京湾大華火祭」(2018年は中止)も眺められると聞いた。

私の気がかりは、もし築地市場跡地に高層建築が林立することになったら、がんセンターの「展望ラウンジ」の眺めが失われかねないということだ。この眺望が患者にとってどれほどの慰めになっているかは、ディベロッパーの知るところではなかろう。だが、病む者、戦う者、それを支える者たちにとって鮮やかな景観が一服の清涼剤以上のものとなることを知ってほしい。美しいものには底知れぬ力が宿る。かつて汐留の再開発により浜風が高層建築に遮られ、近隣の気象に影響を及ぼしたことが報じられた。汐留と築地は隣接地帯である。同じ轍を踏まぬよう願うばかりだ。現都知事の提唱する「食のテーマパーク」とやらはどのようなものになるのだろうか…。

存続の決まった築地場外市場に話を戻すと、そのアジア的喧騒そのものが国内外からの観光客を集めている。場内で早朝に行われていた競りに見物客が殺到しただけでなく、場外に密集する幾多の魚屋、乾物屋、さつま揚げに卵焼きなど食材の店、八百屋、包丁・調理用品・雑貨の店、そして寿司屋を始めとする各種の食堂・居酒屋・カフェなどが、立ち飲み・立ち食い・椅子席・座敷といった多様な形態のもてなしで客を迎える。徐々にセンターのような店舗集約型施設も出来ているが、昔ながらの路地の店頭販売に人々が群がる。そこでは「安いよ。」「いくら?」「まけとく!」といった活きのいい問答が交わされ、生鮮食品や常備品が売買される。土産物屋も多い。多国語で書かれた値段表や品物説明板を店は用意する。マグロの解体ショーをやる店には黒山の人だかり。ショーのあとでぶつ切りにされた魚の頭がデンと店先に飾られる。寿司の値段は決して安くはない。だが様々に工夫を凝らした店構えの寿司屋の前では呼び込みが声高に客を集める。

私は長年築地に通っている。前述の通り「中央病院」と縁が切れないからなのだが、病院から解放されたあと場外をぶらつき、なにか一口食べたあとで、波除神社の脇を晴海通りに出て、勝鬨橋に行くのが楽しみだ。橋のたもとから東京湾の方角を眺める。波光きらめく水面を船が行き交う。川を遡上するのは小型の運搬船やモーターボート、浅草と竹芝桟橋やお台場の間を行き来する観光船や屋形船などが多いが、水上交通の健在なことを確認できる。優雅な橋桁が、かつて開閉して大型船舶を通した日があったことをかすかに思い出しながら、今はもう開くことのない橋の中央まで行くと行き交うトラックの重みに自分の体まで揺れるのを感じる。カモメが群れ飛び、海の匂いがする。一時はドブ川のようだった悪名高い隅田川もかなり浄化が進んだ。(とはいえ、大学生を連れてきた時には「臭いますね」と言われて愕然とした。)

隅田川テラスを歩き、聖路加国際病院脇から築地本願寺へ出て巨大な本堂にも寄ってみる。世界各地から訪れた人々が三々五々写真撮影をするのを眺めていると、この街の懐の深さを実感する。健やかな者も病める者も、老若男女の別なく袖すり合わす街。20世紀は遠く、平成も終焉を迎え、市場は去った。だが隅田川は流れ続ける。人の流れも絶えずこの街を潤し続けて欲しい。人をもてなす場のない東京には魅力などない。築地を忘れまい。

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