初出 田崎清忠主催 Writers Studios 2018年 12月 27日 |
散策思索 07 「横丁から」 (本郷界隈その一) |
Home ホーム 更新・短信 The Latest Notes 新作エッセイ Essays since 2018 |
「横丁から」(本郷界隈その一) K. Kitada 師走の到来とともに、一通の葉書が舞い込んだ。「閉店のお知らせ 長年にわたり多くの皆様方のご支援ご愛顧いただき有難うございました。 12月20日を以て閉店とさせていただきます。 感謝をもってお知らせいたします。 木村屋パン店」 80歳を超えた店主の顔が目に浮かぶ。早朝から仕込みをして午前10時にはきっちり店を開け、ガラスケースに溢れるほどの手作り惣菜パンやサンドイッチ、菓子パンなど並べて客を待つ。夫人と息子が手伝うものの、主力が店主一人であることに変わりない。付近には新しいベーカリーもでき、商店街の店もだいぶ入れ替わった。「潮時」という言葉で、いつ閉めるかを考えていると聞いたばかりだった。 パン屋があるのは東京都文京区本郷の一角、本郷通りから白山通りへ向かう「壱岐坂」の中程だ。(私が長年勤めてこの春退職した勤め先の近所。)商店街は「本郷大横丁」と呼ばれて親しまれている。今も非常勤としてこの地に通う私は、しばしば昼食用のパンをここで買う。学生たちも近隣の会社員も地元の人々も出入りして、店は繁盛しているように見えていたが「昔に比べるとそうでもないんだ」と店主は時折漏らしていた。素朴なパン屋だ。近頃流行るペストリータイプのものや、フランスパンだとかベーグルとか、オーガニック素材のヘルシーでおしゃれなパンとは無縁の、店で焼くコッペパンにドドーンと揚げ物を挟んだ惣菜パンがほとんどで、私は二つ食べればもうお腹いっぱいになる。500円で十分一食賄えるのは今時安い。一昔前の学生や会社員にはたいへんありがたい店だった。 しかし多種多様な食堂が軒を並べ、コンビニに行けば何でも買える昨今、バラエティーの一つとしても旧来のパン屋が存在感を示すにはパンチが不足するようになっていた。「昔ながらの店がまた一つ消えるのは寂しい」という郷愁だけで存続を願うのは安直だと私も思う。それにしても、次々と個人経営の専門商店が閉店していくことに愕然とする。 壱岐坂の突堤部分に大学が位置するご縁で、一介の教員である私もささやかに横丁と関わってきた。既に12年余り本郷大横丁商店街のマップを私はインターネット上に公開している。世に言う「街起こし」などというほど大袈裟なものではないけれど、ある時街の顔役の会社社長の呼びかけで、なにか仕掛けてみないかという話が持ち上がった。商店街・区役所関係・大学の面々が数名ずつ出て集い、最初は道行く人に配る「絵地図」を作ろうという趨勢だった。しかし、印刷物は経費がかかるし改訂に手間が要る。デジタルマップの方が手軽で便利ではないかと提案すると、それなら作ってみて欲しいと言い出しっぺの私に企画が振られた。ウェブデザインなどやったこともないくせに、それではと引き受けた私も(今より随分)若かった。なんとか絵地図に店舗をマークし、それをクリックすると別窓が開いて各店舗の詳細ページに飛ぶというサイトを試作してみた。最初の計画では学生たちが店舗を取材して情報を集め、学生たちがサイト作成・運営するのを私が手伝う約束だったのだが、なかなか集中して継続的に作業を引き受ける学生集団が育成できず、いつしか自分が唯一人のマップ要員になっていた。指導力の無さが露呈した格好だ。 しかも日々の授業や学内外の仕事を抱え年一、二回の地図改訂がやっと。世の中のインターネット事情は日々刻々進化し、素人の手作りサイトなどあっという間に古びてしまう。今でも単純素朴な古色蒼然たるストリートマップが公開されている。辛うじて大学のオフィシャルサイトからリンクされているので、ネットに引っかかっている状態だ。 マップ作りに最も協力してくれたのがパン屋の店主だった。商店街のニュースや季節のイベント情報をいち早く知らせてくれたり、取材を手伝ったりネット上の絵地図を印刷して各店舗に配布してくれたり。こちらも買い物ついでに店頭で大横丁のあれこれを語り合うのが常だった。「この横丁も高齢化が進んでいてね、跡取りのいないのが皆の悩みよ」という話が何度も出た。取材しているとそれが実感できたものだ。ガラス窓の向こうで毎朝うどんをこねていた店の主は、「親の世話をしなきゃならなくなった」といって廃業した。レトロな造形が街の名物でよくテレビドラマの舞台として使われていた薬局も移転した。地場産業の一つだった観光旅館二軒が姿を消し、味のある喫茶店もなくなり、ついこの前までおばあさんと猫二匹が店番をしていたクリーニング屋も閉まった。個性的な骨董品店・有田焼の店・アクセサリー店なども消えた。しかしこの商店街はシャッター通りにはなっていない。「地の利」があるのか、誰かしらが貸店舗をリニューアルして入居する。新規参入は飲食店がほとんどだけれども。 現役でゼミを担当していた頃には商店街の納涼祭の焼きそば屋、唐揚げ屋、ビール販売などを学生たちと任された。横丁を車両通行止めにしてテーブルを並べ出店の並ぶイベントには大勢の住民が訪れ、街の活気が直に感じられて学生たちもよく働いた。だがパン屋の店主によればそのイベントのやり方も徐々に変化し、昨今手作り感が薄れ「以前のようではなくなった。もう私らの出番じゃないね」と独り言ちる。 そのような流れの中でパン屋のおやじさんと共に、私自身も今後を考えざるを得なくなっている。「古色蒼然たる」という枕詞自体に存続価値は無いだろう。後継者を育て、継承していく道が開けなければ古いものは廃れる。感傷でその流れを止めることはできない。パン屋の倅さんはプロの太鼓叩きだ。手伝いはしてもパン屋を継ぐことはない。(おやじさんは息子の太鼓が自慢で、店にいつもチラシを置いてさりげなく太鼓ライブの宣伝をしていた。)私も一昔前の作りのまま大横丁商店街のデジタルマップを維持していくことには限界を感じている。少しずつ最新のサイト作りを勉強しているけれど、街の新陳代謝に追いつけるかどうか怪しい。「マップももういいかな」というおやじさんの言葉にどう答えるか、決断を迫られている。「横丁にある大学、大学のある横丁」という(マップを作りながら私が考えた)コピーは残念ながら誰にも受けなかった。 だが、「本郷もかねやすまでは江戸のうち」と謳われたこの地の魅力は尽きない。自由な時間が増えた分、大通りばかりでなく横丁から路地や裏道を抜けて歩き回る機会も多くなった。ドローンの飛び回る時代に、時を越えて生き続けるものを探す旅は終わらない。 |
初出 田崎清忠主催 Writers Studios 2018年 12月 27日 |
Home ホーム 更新・短信 The Latest Notes 新作エッセイ Essays since 2018 |