初出 田崎清忠主催
Writers Studios
2020年 2月23日

散策思索 21

「読書会」

 

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「読書会」

北田 敬子

昔、仲間たちとよく「読書会」なるものを開いた。一人ではとても読み通せないようなテキストを選んで、何人かの同志と定期的に会い、ああでもないこうでもないと議論する。皆たいてい実力的には棒が折れる程度なので、誰かがとびぬけて賢い解釈を示して疑問が氷解するなどということは滅多になかった。例えばペンギンブックスの詞華集を持ち寄って形而上派詩人の衒学的な詩句に取り付く。一句一行をめぐって数時間。出口のない青臭い討論を延々と続ける。最後は疲れ果てて、皆憮然とした面持ちで帰路についたものだ。あるいは、誰かの下宿に集まって「読書会」となると、先ずは腹ごしらえから。鍋一杯煮込みうどんを作ってひたすらすする。私たちは若かったし空腹だった。炭水化物で満腹になると眠くなる。本来知的な集まりになるはずだったのに、いつの間にか緩んだ雰囲気となり、議論は次回持ち越し。時間はあったのだろう。元気よくスポーツに興じるタイプの学生たちとは全く異なる青春を過ごしていた。

月日は流れ、教職に就いてからは生活に追われた。 “Publish or perish.” 「研究成果を発表すべし。さもなければ潰れるのみ。」というアメリカ流の厳しい掟を守って、研究に邁進する仲間を羨望の眼差しで眺めながら、私は一向成果の上がらない我が身が恨めしかった。そのうち多岐にわたる仕事に忙殺され、ごくたまに論文に毛の生えたようなものを絞り出すのがせいぜいで、毎日の授業を休まずに続けるだけが精いっぱいとなった。それでも家族をかかえて論文を着々と発表し続ける同僚たちはいたわけだから、書けないのは私に力がなかったからとしか言いようがない。「読書会」などという悠長な活動は遠い霧の彼方へ消えていた。

更に月日は流れ、私は正規の職を退職した。一緒に暮らしていた義母が「あなた、いつ仕事を辞めるの?あと何年?待ち遠しいわね」と何度言ったことだろう。義母は私の退職を待てずに彼岸に旅立ってしまった。いつも出歩いている(様に見える)妻に業を煮やしていた(であろう)夫も続いた。「介護離職」もせずにマルチタスクで踏ん張っていた日々は今では夢のようだ。たいしたpublishingもせず、既にperishし果てた身なのかもしれないが、退職後も文学の香りを追いながら生き長らえている自分はこれからどう生きるべきかと、殊勝な問いを発してみたりする。

そのような折、同僚の一人が『とんがりモミの木の郷』と題するアメリカの小説集を翻訳出版した。Sarah Orne Jewett(1849-1909)という作者による、New Englandの北部Main州が舞台の中編とその他に短編5作からなる。「訳者献本」のしおりを挟んだ岩波文庫をメールボックスで見つけて、私は何気なく手に取った。
非常勤の帰路、その本を車中で読み始めると「巻置く能わざる」状態が出来した。滅法面白い。波乱万丈のプロットがあるわけでなし、刺激的なテーマやミステリー仕立てで引っ張るのでもなし。ただひたすら、New England地方の海辺で暮らす19世紀末の人々(主に女性たち)の暮らしぶりが「語り手」によって淡々と、しかし綿密に描き出されているだけの話なのである。なぜ自分はこんなにその作品に惹きつけられるのだろうと当惑するほどに引き込まれた。

一週間ほどかけて全作を読み終わっても最初に感じた魅力は失せない。増々興味を掻き立てられる。そればかりか、インターネット上で募集していた「日本翻訳大賞」にこの作品を推薦して、私はこんな文章を投稿した。

この作品集は、19世紀末から20世紀初頭にかけて米国ニューイングランドのメイン州の海辺を舞台に、慎ましく暮らす人々の姿を鮮やかに描いている。作者を髣髴させる表題作の語り手は夏季休暇と執筆の場を求めてダネット・ランディングという架空の町を訪れ、ミセス・トッドの家に滞在する。そこで出会う人々、人々が語る記憶、古めかしくも丁寧で端正な暮らしぶりに彼女は魅了されていく。現代の日本の読者にとって遠い時空の物語かと言えば、風俗や習慣の表層こそ違え、深層においてはむしろこのような時代だからこそ惹かれるところの多い、人と人、人を取り巻く海や森の豊穣の世界が広がる。とりわけ中高年の女性たちの年齢に裏打ちされた心情や振る舞いの描写は、どの国でも深く顧みられることのなかったフロンティアへと読者を誘う。アメリカ文学史上には名高い存在であったジュエットを、初めて日本の読者に親しみやすい形で紹介するという意味でも貴重な一冊だ。

我ながら相当の熱の入れようだと思う。所詮感想文と言えばそれまでなのだが、本を読んで感激するのは、私が物心ついた頃から止むことのない習い性である。他の人はこの本をどのように読んだのだろうかという好奇心に突き動かされ、40年以上の空白を挟んで私は「読書会」を企画した。

 恐る恐る訳者に参加を打診してみると、快諾してくれた。「読書会」の話を持ち掛けた(元)同僚たちからも肯定的な反応が相次いだ。賛同者は十名を超え、訳者と伴走した編集者までもが同席してくれることになった。年度末の多忙な時期に「読書会」などという呑気な集まりに時間を割いて悔いなしという同志がこんなにいるとは!
かくて二時間ぽっきりの予定で「読書会」が行われた。研究会ではさらさらないので、気兼ねなく好きなことを好きなだけ語ろうという趣旨のもと、自由な発言を促したらロの字型に並べた机を囲んだ参加者から、縦横無尽に感想や意見・疑問が飛び交った。自前の作品分析や解釈がこれでもかと提起され、舞台となった120年以上昔の北大西洋沿岸の小さなコミュニティーに「描かれた」人々と、我々との間に隔たりはあって無きが如しであった。要するに、老齢、孤独、家族、記憶、失望、希望、友愛といったファクターは時と所を選ばず誰の人生にも通底する、普遍のテーマなのである。それを、女性の視点から描き切っているところに作者の腕の冴えがある。大海原に乗り出したり、荒野を切り開いたり、砲火の轟く戦を繰り広げたり、燃え盛る情念を描いたりしなくても、物語は成立するものだ。だが、主に中高年の市井の女たちの心情が主役であるような文学作品はそう多くない。19世紀にも21世紀にもやはりそこはフロンティアだ。

 正規職を退いて半ば隠居暮らし(全く悠々自適には程遠いが)に片足を突っ込んだ私が似たような境遇の(元)同僚を中心に、出産を控えた若い現役をも交え、それぞれ人生の奮闘・葛藤真最中の読者に呼びかけた「読書会」だった。人を見送る経験をし、恋や結婚に憧れた時代を超え、重たい現実に直面しながら苦境も笑い飛ばすタフネスを身に着け、他者に対する嫉妬や羨望よりも共感をもつ技に長けた境涯に立ち、老いの迷路をさまよう覚悟を決めたというような状況が、「読書会」の面々には多かれ少なかれ共通する。文学作品はもはや絵空事でも業績のためのものでもなく、共鳴版として自身の支えとなる。少なくとも長年読書に親しんできた者にとって、小説は人生に不可欠の相棒だ。
それにしても、と私は思う。仲間たちと「本読み」の時間を分かち合う暇もなく必死の形相で暮らしてきた日々は何だったのだろう。生老病死のリアリティーを身内に抱え、この先は日々是と向き合うとあっては、意地を張るより肩の力を抜いて緩やかに他者とつながっていくのが良かろう。やっと、やっと、そんな岸辺に漂着したのかもしれない。

たかが一冊の文庫本、されどその一冊を通じてひと時の喜びを共有できるならば、「読書会」は人生のささやかな楽しみとなる。背伸びしていた時代の「読書会」とはなんという違いだろう!いずれそれすら叶わなくなる時が来るのを案ずるより、今はその可能性を享受すべしと肝に銘じるばかりだ。

『とんがりモミの木の郷』他五編

Sarah Orne Jewett作 河島弘美訳 岩波文庫 2019年10月16日刊行

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