初出 田崎清忠主催 Writers Studios 2023年 11月15日 |
散策思索 35 「工場と美術館」 |
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散策思索35 Writers Studios 特別寄稿 「工場と美術館 」 北田敬子 2023年11月8日、田崎清忠氏主催「キヨ友の会」秋例会では、千葉県野田市にある「キッコーマン工場と茂木本家美術館見学」を行った。田崎氏を始め総勢15人が参加した。今回はその探訪記を書いてみたい。 「工場」と「美術館」とは一見相容れない施設のように感じられる。当初この計画が打ち出された時、私ははっきりしたイメージを思い描けずにいた。ただ、2020年に春例会で下田に旅行して以来、コロナ禍に阻まれて集団での移動を伴うプランが立ち消えになっていたことを思うと、久しぶりの小旅行にはそれだけで心躍るものがあり、田崎氏の確信に満ちたお誘いのことばに励まされ、百聞は一見に如かずと参加を決めた。「キヨ友の会」の名物はイベントの直前に送られてくる、詳細な情報が盛り込まれた「ガイドブック」だ。参加者、旅程、企画の内容、果ては当日の食事・デザートまで(予備調査を踏まえた)資料となっている。今回も12ページに及ぶ印刷物が届いた。聞けば原稿のほぼ全てを田崎氏が執筆され、(連絡ご担当を兼ねる)サポートチームが協力されるとのこと。「ガイドブック」のおかげで参加者は大船に乗った心地のまま当日を迎える。 今回の企画ではその「ガイドブック」作成にあたり、「美術館」の総指揮を担う茂木七左衞門氏が事前に丁寧な監修をされたことが明らかになった。すなわち、友の会の面々は野田市にあるキッコーマンの醤油製造工場を団体客として見学するばかりでなく、「茂木本家美術館」MOMOA(MOGI-HONKE MUSEUM OF ART)を設立者の一人であり運営責任者でもある茂木氏自らご案内下さるというのである。そのために、「ガイドブック」の該当項目には茂木氏の正確を期した編集が施され、いわば田崎氏と茂木氏ご両人によるコラボの体を示すものとなっていた。「ガイドブック」は田崎氏による工場までの微に入り細を穿つ交通案内に始まり、工場での見学案内キーマン(副館長の茂木克彦氏)の紹介、見学場所のアウトライン、映像・工場内の見どころ、体験学習の概要、さらには見学後の記念品に至るまで、これでもかという丁寧な説明が盛り込まれている。後述の美術館見学についても然り。私がそのことの本当の意味に気付いたのは、実は見学を終えてからであった。 そこまでの「ガイドブック」があれば、途上迷うことなく集合時間・集合場所に参加者全員が揃うはずである。ところが最も迂闊な参加者―それは私です―が乗換に手間取り遅刻した。そういう緊急事態に備える電話番号も記されているので、躊躇うことなく電話すると旅行業務一切を取り仕切るプロフェッショナル、松園氏の落ち着いた声、「野田市駅に着いたらまた連絡を。」もう誰の姿もない同駅で再び電話したら今度は「大きなキッコーマンのタンクが見えますか?あれを目指して工場正門に向かってください。入口で待っています」との頼もしいお言葉。駅前にめぼしいものは他に何もない。私はキッコーマンの亀の子マークを睨みながら歩いた。果たして、私はメインゲートで迎えてくれた会社のスタッフに「キッコーマンものしりしょうゆ館」へ誘導され、制服姿の女性アテンダントが引き継いで既に会の面々がビデオ鑑賞中の映像ホールへとスムーズに招き入れられた。(その連携の緊密さ、対応の丁重さに突如VIPになったような気分だった。) 私たちは醤油製造の基本を学んだ。醤油は発酵食品だ。大和時代以降、特に日本人が好んで発展させた穀物由来の「穀醤」をもとに、戦国時代に醤油は庶民にも広まっていったという。江戸時代には原料調達、江戸という大消費地への水路を利用した運搬の便の良さから、野田において大量生産が始まった。 展示順路では原料の「大豆」「小麦」「塩」に醸造微生物である「麹菌」(キッコーマン菌)を加え、<原料>→<原料処理>→<製麹>→<仕込み>→<圧搾・清澄>→<火入れ>→<詰め>→<出荷>という工程で製品がつくられ、販売されるまでがパネルや、工場内での作業を遠望する窓、製造過程の醤油の実物(これによって発酵状態や香りを体感できる)、壁面をスクリーンにした映像などでダイナミックに表現された。聞くところによれば、映像に添えられる言語(音声)は日本語・中国語・英語があるそうだ。また一般向けに加え、小学校からの見学に備えた「子供版」も準備されている。 解説の中で印象的だったのは、醤油の製造過程で生じる副産物の処理のことだった。「大豆くず」「小麦くず」「しょうゆかす」「しょうゆ油」などが燃料・家畜の飼料・「作物用の肥料」として再利用されるとのこと。さらに、製品は1970年代にアメリカで広まったことを始め海外生産拠点をシンガポール、台湾、オランダ、アメリカ、中国などに置き、世界約100か国で販売されているそうだ。様々なデザインのボトルや缶が勢ぞろいするディスプレイ棚に「ハラールしょうゆ」とラベルの貼られたものもあった。それぞれの地域や宗教上の制約にこまめに対応している様子がうかがえた。 「キッコーマンしりしょうゆ館」の外には「御用醤油醸造所」なる建物が別棟として公開されており、そこではオートメーション式ではなく伝統的な手法で宮内庁に納める?油が作られ続けている。一同は同棟内の狭く急な階段を上り下りしながら、大きな樽や古めかしい看板・標識などを観覧した。昭和初期の建物を移築したため、十分なバリアフリー対応が無いと言いながら、小さなエレベーターは完備しており足元に不安のある観覧者への配慮が感じられた。 じっくりと「しょうゆ館」を見学した後、本館の物販コーナーで我々の消費者魂が炸裂した!先ずは入り口で見学記念品として「生醤油」のボトル一本が進呈されたことに度肝を抜かれた。(ホントに頂戴してよろしいのでしょうか?という気持ちで一本ずつ受け取る我ら。)上記「御用醤油醸造所」で作られた限定販売品「亀甲萬御用蔵醤油」を半ダース買い求める人、一番搾り、二番絞りなどの高級品を選ぶ人、醤油味の煎餅やあられの袋に狂喜する人、その他にも数々の魅力的な土産物が並んでいた。見学によってあらためて一同<醤油愛>に目覚めたという塩梅だった。 さて、「キッコーマンものしりしょうゆ館」から三台の車に分乗して、一向は「茂木本家美術館」へ移動した。工場とは至近距離にありながら、別世界へ踏み込んだ感がある。未だ十分には工場と美術館の関係がつかめずにいる我々のために、ここから極めて重厚で多岐にわたる、そして軽妙洒脱な講義が満を持して待ち構えていた。いよいよ茂木七左衞門氏の登場である。プレスの効いた真っ白いハイネックのスタイリッシュなワイシャツにジャケット姿の茂木七左衞門氏は1938年のお生まれ。先ずは美術館の名称にある「茂木」という家について、戦国時代から語り起こす。遠大な一族の歴史である。戦乱の中、関西から関東へ移動して野田に落ち着いた祖先は味噌・?油の製造に活路を見出した。野田近辺に拡がった親戚筋はいずれも醤油の製造業者としてしのぎを削っていたが、同族で競い合う無駄を排するため、1917年(大正6年)に高梨家と茂木一族両家七家が「野田醤油株式会社」を設立し、各家から一人ずつ経営に携わる者を出す取り決めが行われた。生家の次男坊だった茂木賢三郎氏は一橋大学卒業後東京銀行に入社したが、1962年に十二代茂木七左衞門の養子となり、野田醤油株式会社(1927年/昭和2年には商標を「キッコーマン」に統一)に入社した。 先代七左衞門氏(1907-2012)は若い頃から美術品を蒐集する人物だった。日本の近代から現代に至る幅広い蒐集品(絵画と彫刻)は約4300点に及び、個人が管理するには膨大であるため、「死蔵」「私蔵」の弊害を免れることを目的に、2006年に地域貢献型美術館を創立した。この創設に奔走し、公益財団法人茂木本家教育文化財団の代表理事を務めるのが、茂木本家第十三代当主七左衞門氏である。氏はハーバード大学でMBAを修得したビジネスマン―キッコーマンの常務、専務、副社長、副会長、相談役を経て、現在は特別顧問―であり、独立行政法人日本芸術文化振興会理事長も務める文化人でもある。ご本人曰く、「英語が好きになったのは田崎先生のNHKテレビ英会話のおかげです。先生が(現在)名誉審査委員長を務めておられる高円宮杯全日本中学校英語弁論大会の審査員として同席したこともあります」とのこと。そのようなご縁が今日の見学会の地下水脈であったのかと一同大いに感銘を受けた。 美術館の「カフェMOMOA」で蕎麦と寿司のオリジナルランチを食べながら七左衞門氏の講義を聞いた後、我々は美術館の展示コーナーへ足を踏み入れた。七左衞門氏の先導で「ホール」から「ファウンダーズ・ルーム」、ギャラリー1(別名「富士山の部屋」)、ギャラリー2 (「ヒマラヤの朝」を展示)、ギャラリー3 (浮世絵展示のための特別室―現在は新版画の「川瀬巴水展」が行われている)へと進み、「タワー」と呼ばれるコーナーでは、天井を見上げると銀色の月と星々の煌めく見事な天井画があった。奇想に満ちた美術館である。さらに歩を進めると、「コラムコート」と呼ばれる白い円柱(コラム)の並ぶガラス張りの回廊から、広い庭が望める。我々は庭へ出て、秋たけなわの広々したスペースで、工場とも美術館内とも異なる自然の息吹を満喫し、奥まった一角にある神社や古木の間を経めぐる楽しみを味わうことも出来た。 美術館訪問で最も印象深かったのは、茂木七左衞門氏が一つ一つの美術品を心から愛で、あらん限りの知識と経験を投入して我々一行とその知見を共有しようとする熱意であった。日本を代表する食品会社の生み出した利益(敢えて十二代目美術品収集家七左衞門氏の業績をそのように言い表すことが許されるなら)が美術館として地元に、更に広く一般の人々に還元される社会的活動になって結実しているのを目の当たりにしたことは驚きであり称賛に値すると思った。キッコーマンという会社としては幾多の労働争議にも出会ったことだろうし、社会情勢と共に浮き沈みも経験してきたことであろう。だが、先代、そして十三代目の茂木家当主が持つ文化を受け継いでゆくものとしての矜持と実行力に深い敬意を表したい。教育文化財団の仕事の一つが野田市のみならず、日本全国の学生・生徒を対象にする返済義務のない奨学金給付であると知り、益々その感を強くした。 美術館で目にした作品はどれも興味深いものであった。専門学芸員が付きっきりで解説してくれた新版画と川瀬巴水については、同館が所蔵する3000点に及ぶ浮世絵を踏まえ、実物を前にすればこそ得られる鑑賞のポイントが分かりやすく、私自身新たな世界を知る手掛かりができた。七左衞門氏が縦横無尽に語る展示作品および画家と先代との交流など、他では聞けないとっておきのエピソード尽くしで、驚きの連続だった。小さな私立美術館の面目躍如というべきか。 最後に、「カフェMOMOA」でランチに舌鼓を打ちながら、同じテーブルに着いた者同士で交わした会話に「茂木七左衞門氏のご活躍は、まさしくノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)ではないでしょうか?」という言葉が飛びだしたことを付け加えておく。企業活動と共に、指導的立場にいる個人が果たし得る積極的な社会貢献の稀有な例に接し、大きな喜びを得た「キヨ友の会」秋例会となった。茂木七左衞門氏をはじめ、「キッコーマン野田工場」、「茂木本家美術館」の関係者の皆様方に心より御礼を申し上げ、会を企画・実行された田崎清忠氏、実行委員の皆様にも厚く感謝申し上げる次第です。 【参考資料】 ※本稿にはオリジナル原稿と異なる表記が含まれます。人物の敬称は全て「氏」で統一してあります。また、「特別寄稿」とは通常のエッセイ投稿とは異なり、関係各位の校閲に基づく改訂を加えてあるためです。 |
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