初出 田崎清忠主催 Writers Studios 2024年 11月21日 |
散策思索 40 「老女たちのカフェ 」 |
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散策思索40 「老女たちのカフェ 」 北田敬子 私が駅前の「デリフランス」に行くようになったのは、ちょうど昼頃勤め先のある駅に着くと軽食をするのに便利だからだ。以前はビル地下のコーヒーショップでサンドイッチを食べていたこともある。忙しい昼時にサッと入って食べたらすぐ席を立つ人と、コーヒー一杯で本や新聞やパソコンを開いて居座っている人、どちらにも寛容な気取らない店を気に入っていた。けれど同じものばかり食べるのにも飽き、地下への急な階段が少し億劫になってきたし、つい時間を忘れて本を読みふけってしまう弊害もあった。 別の地下道にあるお茶漬け専門店も悪くなかった。この頃足が遠のいているのは、面壁の孤食を些か味気ないものに感じ始めたためだろう。どこでも食べるのは一人なのだから構わないようなものだが、いつ行っても誰一人ものをいうわけでない食堂は流石に陰気臭い。コロナが流行し始めの頃はアクリルの衝立が客の間を仕切っていた。 そこは食堂ばかりで出来ているような繁華街が駅前を取り囲む街だ。飯屋、中華料理屋、蕎麦屋に居酒屋、寿司屋もあるし何と言っても各種のラーメン屋が軒を連ねている。胃袋のためにあるような通りなのだからあれこれ試してみればよいものを、私は自分の昼食時間に対してどこか禁欲的になりすぎる嫌いがある。同業者の中には女性ながら通りの店を片端から試してみたと豪語する人もいる。その気風や良し。私もかくあれば、もっと自由な人生を送れたかもしれないと時々悔やむこともある。要するに、意気地がないだけだ。もっと柔軟な精神を持っていれば、同じパン屋での可もなく不可もないランチに満足することはなかっただろう。 「デリフランス」に来ているのは九割方が女性客だ。たまに見かける男性も静かな年配の人々が殆どで若者たちは滅多にいない。畢竟、耳に入るのは中高年の女性たちの甲高い声ばかり。彼女たちが傍若無人に語り合うのは互いの近況報告が専らなのだけれども、なんとも繰り返しが多いのにはつい笑いを禁じ得ない。先頃は、地下鉄の迷路のような構内が如何に不可解であるかという愚痴の応酬だった。とりわけやり玉に挙げられていたのは大手町から東京駅に至る界隈。「長いのよね。」「入り組んでるなんてもんじゃないわよ。」「何遍行っても迷うわ。」「いい加減にしてほしくない?」と、留まるところを知らない。 確かに、私も迷いそうにはなる。だが、標識をよく見れば行き先は明示されている。たぶん彼女たちはサインを見落とすのだ。いや、大手町ならずとも私もよくサインを見間違える。何度も行ったり来たりすることもある。だから本当は彼女たちを笑えない。先だっても赤坂見附から永田町に抜けようとして曲がり角を間違えた。地下通路でショートカットを目論んだのに、訳が分からなくなりいっそ外に出て建物で判断しようと思った。そうしたら高速道路下に横断歩道が四方八方にあり、そのどれを渡れば目的地に一番近いか判断できず、近くのコンビニに飛び込んで道を尋ねると、海外から来た店員が「ボク、分かりません。あそこに交番あります。聞いて下さい」という。結局おまわりさんに教えを乞うはめになった。(「グーグルマップを見て歩け!」と言われても文句は言えないご時世に。) 今日、「デリフランス」のカウンター席に一人の老女が座っていた。髪はボサボサ、身なりはクタクタ。テーブルの正面には三つも四つも満杯のポリ袋が並び、目の前にはレシートだかサービスカードだか分からない紙類が山のように積み上がっている。ショッピングバッグレディーか、まさかよくガード下で見かけるホームレス?と一瞬たじろいだが、空いていたのはその一角だけだったので私は一つだけ椅子を間において傍に座った。本を読みながらパンを食べ始めて少しすると、身なりの良い一人の老婦人が空いた席に来て「ここよろしいかしら?」と尋ねた。私は「どうぞ」と返した。(勇気あること。あのお婆さんの隣に座るなんて!)すると脇にあった傘に気付いて「これあなたのですか?」と問いかけられた。「いいえ」と言うと、「まあ、どなたかがお忘れになったのね。」との彼女の独り言に、件のボサボサ老女が「それ、私のです」と手を出した。そこからが意外な展開だった。 二人は何の拘りもなくお喋りを始めた。「今日は寒いわね。」「そうよね、中は暖かいけど。あたし、いつもここでお昼食べるの。パン一個とココアって決めて。」「あら、そうなの?それだけで足りる?」「十分よ。お昼なんて軽くていいの。夜に食べる楽しみは取っとくのよ。あたしお酒飲むから、食べるのも夜。」「いいわね。おやそれ、なあに?」(と面前の紙類の山について率直な質問。)「ああこれ、貯めといてもしょうがないんだけど宝くじよ。」「当たるの?」「当たんないわね。最後の一桁がたまに当たってるけど、そんなの意味ないでしょ。でも、捨てられなくて。」 次いでマダムの方が、「そのバッグ素敵だわ。」「ああこれ、いいでしょ。あそこに出てる店で買ったの。今日はお菓子ばっかり売ってるけど、こういうのが出てる日があって。勧められて買っちゃったのよ。」とウィンドーの外を指す。(確かに週替わりで「デリフランス」前の広場には色々な出店が来る。私もこれまでに勤め帰りに、リュックサック、靴、テーブルマット、エプロンなどを買ったことがある。) 暫しおしゃべりが続いた後、身なりの良い老婦人はゆっくり立ち上がって、「それじゃ、失礼します。ごめんください。」と穏やかに席を離れた。ボサボサ老女も機嫌の良い声で「サヨナラ」と一言。店を出る前にチラリと彼女の席を眺めたら、驚いたことに先ほど積み上がっていた紙類はきちんと整理整頓され、相変わらずのポリ袋類の脇に可愛らしいクマの模様のポシェットがちょこんと座っているのに気が付いた。どうやら彼女の本日のランチタイムは終わりに近付いたようだ。私も、彼女たちの一人でなくて何だろう。戸外には枯葉の吹き溜まり。
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