初出 田崎清忠主催
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2024年 12月26日

散策思索 40

「くるみ割り人形 」

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散策思索41

「くるみ割り人形」

北田敬子

12月24日の日暮れ時、踏みしだかれた銀杏の落ち葉は歩道の上で元の色をほとんど留めていなかった。駅から15分は歩いただろうか、以前にも幾度か訪れたことのあるドイツ製法によるハム・ソーセージの店は、窓のついた木製の扉の前に立つ迄、開いているのかもう閉まったのか判然としなかった。のぞいてみると、幸いにもお客に対応する店員の様子が見えた。私は予約してあったローストチキンを受け取りに来た。わざわざこんな辺鄙な場所までと呆れながらも、家族のたっての願いなのでどうやら一番時間にゆとりのある私がその買い物を引き受けたのだった。

ドイツの料理にも食材にも殆ど馴染みがないため、私はガラスケースの中に並んだ商品の良し悪しには一言もない。だが、みっちりと中身の詰まったソーセージには食欲をそそられる。こういうのをポトフ―にでも入れて食べたらさぞ旨かろう。「チキンのほかにご注文は?」と問われるままに、「ヴァイスヴゥルスト」(Weisswurst、白ソーセージ)を二本と、隣に並んでいた茶色いフランクフルターを二本頼んだ。注文を受けた店員は、明らかに10歳は私より年配の女性だった。ハイハイと愛想よく返事をしたものの、二本ずつ白い方を二つの袋に入れてしまったようだ。さて会計の段になってその間違いに気づいた私は、「二本ずつ二種類欲しいのですが」と切り出した。店員はたいへん当惑し、茶色いソーセージを二本袋に詰め直すまでは良かったけれど、白い方を二本戻すと合計がいくらになるかがとっさに計算できない。気付いた若い店員が助太刀に入ろうとすると、「いいから黙ってて。今計算してるんだから」と譲らない。一旦打ったレジをどうやり直せばよいかが判断できないようだった。ほんの数十円の返金の方法を巡って二人が話し合っている間、ふと壁に設置された棚を見上げると、私は面白い人形やオブジェクトが並んでいるのに気付いた。

使い古した寸胴鍋、フライパン、豚のコックさん、大きなトナカイ、鶏たち、ヤク、モミの木、鳩時計、そして真ん中にいるのは明らかにくるみ割り人形ではないか。この店を訪れたのは初めてではなかったのに、今まで気付かなかったのが不思議だ。視界には入っていたはずなのにそれと認識できなかったのだろう。こんなところで出会うなんて!私は些か興奮した。ほんの数日前に、私は上野の東京文化会館でキーウバレエ団の『くるみ割り人形』を見て来たばかりだった。

そのバレエは....クリスマスイヴに開かれたパーティで少女クララはくるみ割り人形をプレゼントにもらった。いたずら者の兄が人形の腕を引き抜き、傷ついたくるみ割り人形を少女はかいがいしく世話する。夜中に様子を見に来ると、人形は鼠軍団から少女を守るばかりか、立派な王子に変身して少女をお菓子の国に誘う。スペイン、アラビア、ロシア、中国、フランスなどの人形たちから民族色豊かな舞踏の歓迎を受け、クララも王子と存分に踊る。そしてイヴの魔法が解けるとクララは木でできたくるみ割り人形を大切に抱きしめていた....という物語。

チャイコフスキーの楽曲でも有名なこの作品を、私は何となく知っているつもりになっていた。けれど、実際にバレエを鑑賞すると舞台の華やかさ、ダイナミズム、舞踊のバラエティー豊かなことに魅了されてしまった。子供の頃からバレエに憧れ、興味を持っていたにもかかわらず、今まで一度も生の舞台を見る機会がなかった。それがこの度友人に「キーウバレエ団の公演を観に行かない?オーケストラの演奏じゃなく音楽は録音を使うので料金が安いのよ」と誘われて、一も二もなく応じたのだった。

ヒトの体の中には踊りに反応する仕掛けが封じ込められているのではないかと思う。厳しい訓練を潜り抜け、舞台で踊るバレリーナたちを見ていると、こちらも一緒に踊っているような躍動感を覚える。一言も台詞の無い、所作だけで物語を伝える舞踊の表現力には感服する。そして、今回の公演で何より印象的だった場面の一つは、繰り返されるアンコールに主演の二人のバレリーナがウクライナと日本の国旗をまとって登場したことだった。芸術が政治と結びつかざるを得ない今の状況をつぶさに目の当たりにするところとなった。戦禍にある国からやって来たバレエ団が踊ったという事実に私は強く打たれた。

その後すぐ、報道番組「NHKスペシャル」でウクライナの若手バレリーナの活動ぶりが紹介されるのも見た。オランダの演出家とオンラインで交信しながら踊りを練り上げていくところ、オランダに出向いて舞台に立つところ、そしてバレエ団がロシアの作曲家であるチャイコフスキーの『白鳥の湖』や『くるみ割り人形』の衣装を当面国内では上演しないからという理由で倉庫に収納してしまうところなどが映し出されていた。なんと、『くるみ割り人形』も?と私は驚愕した。戦争の影響は芸術に波及するものであることを痛感せざるを得なかった。それなら、『くるみ割り人形』に出てくるロシア人形の踊りが割愛されることもあり得るのだろうか?聴衆が一段と強い拍手を送っていたあの踊りが。

ようやく釣銭が定まり、私はチキンとソーセージの包みを抱えて店を出た。家に戻れば暖房の効いた部屋で焼き立てのチキンを囲んでクリスマスディナーとしゃれこむことができる。キリスト教徒でもないのに祝祭の季節の恩恵に与り、美味しい食事に舌鼓を打つ。この安寧を味わう権利は自分にあるのだろうかという思いが胸を過る。ヨーロッパで営々と築き上げられてきた芸術がこの後どの様な命運を辿ることになるのか不安を感じるとともに、それでも国や民族の別なく確かな感銘を与えるバレエが生き延びて行かないわけはないという希望もまた湧いてくる。芸術は人から人へ受け渡されていくものであるからには。

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