初出 田崎清忠主催
Writers Studios
2025年 9月4日

散策思索 47

 「万博遊覧」

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散策思索47

 「万博遊覧」

北田敬子

よもや、自分が「大阪関西万博2025」に行くことになろうとは思っていなかった。1970年の時には高校三年生だった。受験勉強を理由にちっとも関心が向かなかった。以来、大動員を旨とするイベントにはずっと背を向けて暮らしてきた。にもかかわらず、ここにきて突如宗旨替えをした。万博見物の計画を立てていた娘夫婦が、私にも「行かない?」と声をかけてきたのだ。初めは「そんなの私の趣味じゃないわ。お二人でどうぞ!」とあっさり答える気でいた。ところが「誘われたら乗ってみよ。自分で世界を狭めてはつまらない」という声がどこからか聴こえてくる。心身の柔軟性を保つためにも、動けるうちは動いておこうかという気分になってきた。

そして、行った。並んだ。見た。凄まじかった。丁度お盆の時期だったので、帰省する人たちは来ないだろう、その分空いているのではないかと想像したのは全くの的外れだった。事実その日の入場者数は16万人に及んだ。会場は広い。だが、そもそも入場するためのセキュリティーチェックが厳しくて東ゲートの前に並ぶ人の群れは一向に前へ進まない。「並ばない万博」を標榜していたはずなのに、とんでもない。行列に埋まった私は入場前にもう意気阻喪していた。

夜間チケットを持って待つこと一時間半。午後五時過ぎにようやく検問所に辿り着いた。飛行機に乗る時と同じだ。バッグを開け、飲み物は別に、所持品を乗せたトレイはベルトコンベアで運ばれて透視される。テロ対策なのだろう。何とか通過してチケットのQRコードを機械に読ませたらアッサリ会場に入れた。目の前には名にし負う「大屋根リング」が聳えている。私はパビリオンよりこちらの方に早く入ってみたかった。だが、喉が渇いてお腹をすかせた同行者たちは北欧館のビール売り場に直行する。各国のパビリオンには入館手続きに従って並ぶか、予約券を手に指定時刻に馳せ参じるか、厳しい選別が施される一方で、食べ物や飲みは入場者の列の脇に別に設けられたルートから、案外簡単に購入することが出来る。事前調査に抜かりのない面々はネットからダウンロードしたマップ片手にスイスイと進む。私はドタバタとついて行く。

というわけで、我々は先ず腹ごしらえとなった。ビールやワインを片手に英国館の脇で買ったフィッシュアンドチップスをかき込む。「わざわざ万博会場で食べなくてもよさそうなもの」と言いたいのはやまやま。おまけに「え〜、チップスに味が無い。モルトビネガーをぶっかけて食べたいなぁ。」と私が文句を垂れると、同行者たちは、「イギリスの食べ物ってこんなものじゃないの?」と意に介さず、「どうせならベルギーのフィリッターも食べてみよう」と言い出す始末。野外のベンチに座り込んで、両国の揚げ物でお腹を一杯にした我々だった。

友人から「どうせ入れないでしょうけれど、イタリア館の写真をお願い。バチカンの展示を見てみたかったわ」と頼まれていたのを思い出し、夕闇に包まれて灯りの点り始めたイタリア館を撮影していると、一天俄かにかき曇り雷鳴が轟いて夕立に見舞われた。そんな時こそ大屋根リングがある!誰も彼も大急ぎでリングの下に駆け込む。それは立派な屋根だった。話には聞いていたし何度もテレビで見てはいたけれど、木組みの見事さには圧倒された。奈良や京都で眺める歴史的建造物とはまた違う、新しく機能的でありながら木材をふんだんに使用したコンポジションの美しさはどうだろう。大勢の来場者がいくらでも入れるその大きさは、とかくせせこましい都市空間に馴らされた私に、「よくぞこんなもの造ったこと!」と言わせるに十分だった。

しかも、大屋根リングの中には木製の腰掛がいくらでも置いてある。ちょっと休憩したい人は誰でも座れるほどに十分ある。しばし寛ぐうちに雨はやみ、延期されていた花火の上がる音が聴こえてきた。辺りの観客は、それっとばかり階段を目指して優に三階分はある距離を我勝ちに駆け上がる。大分後れを取ったものの、私も何とか皆の後についてリングの上に辿り着いた。それはささやかな花火だった。豪華絢爛には程遠い。僅か10分で終了するようなものだったけれど、「ああ、ここはお祭り会場なのだな」と妙に納得するひと時だった。夜の大屋根リングからの眺めはライトアップされた会場を見晴らし、池のほとりで繰り広げられる水上ショーを上から眺め、大阪湾の夜景を楽しむこともできる爽快なものだった。

第一夜の締めくくりには会場の中心部にある「静けさの森」を散策した。わざと迷路状に拵えてあるという植栽脇の小道をぐるぐる歩くと池の中からゲコゲコという声が聴こえてくる。おや、カエルが鳴いている。会場が造成されて日も浅いのに、もうカエルが住むようになったのか?すごいものだと感心していると、「いやいや、そういう風に音響も作ってあるのですよ。」と同行者から解説され、なんと、これはバーチャルの森であったかと鼻白むような、そこまでと感心するような、複雑な思いで会場を後にした。

二日目は朝から並んだ。前夜洗礼を受けていたので、セキュリティーチェックを受けるまでの行列にも驚くことなく、いよいよ見物と気合が入る。とはいっても申し込んだ十館以上のパビリオンにはことごとく外れ、唯一「飯田グループと大阪公立大学の共同出展館」に滑り込むことが出来た。西陣織に包まれた建物の内部には巨大な未来都市のジオラマが設置され、二酸化炭素と水からギ酸を生成して水素発電装置で電気を創り出すという「人工光合成」の仕組みが詳しく展示されていた。その後は、入れそうなパビリオンを探して体当たり。サウジアラビアの陶芸やコーヒー焙煎の実演を(何とも美しい日本語による解説と共に)見たのは素晴らしかったが、コモンズ館と呼ばれる、独自のパビリオンを持たない国々の展示を見て回るのも興味深かった。アフリカの小国の展示所で鉄のハンマーや小刀などが床に並べてあるのに気付いて係員に「あれは工芸品を作る道具ですか?」と尋ねたら、「いいえ、武器です。民族間の戦の絶えない国でしたから、ああいうもので殺し合いをしていたのです」との返事。大量殺戮が平然と行われている現代の戦地がニュースではクローズアップされている一方、見えない戦争はあちこちに続いていて、犠牲者は出続けているのだろうと想像させられた。戦への想像力をいかに保つか、重い課題だ。

話題になった有名パビリオンは外から建築デザインを鑑賞するのが精いっぱい。何時間も並ぶ根性とてなく、熱中症になるのはさらさら御免と、暗くなる前に遊覧を終えた。海風の吹き抜ける大屋根リングは快適だった。総じての印象は「巨大な学園祭」といったところだろうか。戦よりは祭りに集う方が良いのは確かだ。この日はたまたま夢洲と大阪市中を結ぶ地下鉄が夜間に不通となり、数万人が会場に足止めを食らうというハプニングも起こった。だが入場者はそんな不慮の出来事もスペシャルイベントとして受け止めたようで、流石大阪のお祭りである。祭りには飛び込んでみないと本当のところは分からない。祭りの後の虚しささえ。

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