| 初出 田崎清忠主催 Writers Studios 2026年 7月1日 |
散策思索 54 「嵐の後に」
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散策思索54 「嵐の後に」 北田 敬子 2026年の台風7号が関東地方に接近しつつある頃、羽田空港では未だ沖縄便が往復とも欠航のサインを点していた。しかし九州北部は既に嵐の圏外になっていた。飛べるかどうか危ぶみながら迎えたその朝は、難なく私を旅に押し出た。 私が生れて初めて飛行機に乗ったのは、銀行勤めだった父の転勤に伴って家族一同が羽田から(当時の)板付空港へ向かった時のことだった。1964年、東京オリンピックの年である。東海道新幹線が開業したのは同年10月。私たちの引っ越しには間に合わなかったし大阪までしか行かない。汽車で福岡へ行く長旅は祖母には負担が大きかろうと、父が空路を選んだのだった。私が小5、弟は小4、妹は未だ小1だった。家族の誰にとっても飛行機は初めてなので、全員が緊張していた。 空から地上を眺めるのはまさに画期的なことだったはずだ。だが、私はそれどころではなかった。機体が乱気流に巻き込まれてエアポケットに入り、上下左右に揺れたものだからすっかり酔ってしまった。エチケットバッグなるものが手放せず、空の旅は苦悶以外の何物でもなかった。家族の中で私だけがそんな目にあったのは何故だろう。板付に到着した時は心底ほっとしたし、タラップを降りる足元はふらついていた。 そんな洗礼を受けてたどり着いた福岡。目的地は北九州市の門司である。父の職場は門司の隣の小倉にあった。門司まで直行するかと思いきや、父はせっかく福岡で降りたのだから太宰府天満宮にお参りしていこうなどと酔狂なことを言い出し、一同はぞろぞろと先ずは大宰府詣で。東京を離れる前には転居先での無事を祈って明治神宮に参拝したばかりだった。昔の人は信心深いというか、何事も神頼みだったようだ。そこから私たちは知り合いの車に乗せてもらって門司へ向かった。その時に家々の屋根瓦に白い漆喰が塗られているのを見て、あれは防風のためなのか装飾なのか不思議だったが、ついぞ聞き損ねた。 門司では山が住宅地に迫っているのに驚いた。社宅から一歩外に出れば、もう山の麓。朝には霧が下りてくる。翌週から入った小学校は戸ノ上山(518M)の山裾に建っていて、二階の窓から関門海峡が見晴らせ、西の方向には若戸大橋まで見届けられた(ように記憶している)。海面は風が強い日には白い三角波でいっぱいになり、美しくも恐ろしい様子をしていた。私は山と海との景観に魅了され、全身全霊を大いに刺激された。弟は直ぐ友達を作って戸ノ上山の頂上まで登ってきた。私は途中の滝の観音まではよく行ったものだ。休みの日には父が飯盒を持って私たち姉弟を引き連れ、山登りをした。 かくて飛んで行った先は別天地だった。関東圏から行くと言葉がかなり違う。語彙もさりながらイントネーションが関西圏特有のものであり、慣れるまでにはしばらくかかった。最初は東京もんの言葉遣いをからかわれもし、敬遠もされていたが、こちらからクラスメートの「音声」をなぞっていくうちに、「いやだ、嫌いだ」という場合は「好かん!」と言えばよいのだなと体得する頃から何となく仲間に入れてもらえるようになった。 結局私は小5から中1の二学期まで二年半を門司で暮らした。私はすっかり土地の言葉に馴染んだけれど、弟と妹は頑として東京弁を手放さなかった。妹にとってはどちらかというと山陰地方の天候の影響を受けている門司の風土が好きになれず、一時は登校拒否の症状まで示した。今でもあの時代を懐かしいとは言わない。冒険心に溢れていた弟は野山を駆け回った幸いを今でも覚えている。けれど大人になって出張で何度も福岡へは行ったことがあるはずなのに、わざわざ門司に寄ることは無いようだ。 そのような経緯があって、今回の旅行は福岡の西南学院大学で行われた文学の会合に参加することが主な目的ではあったが、私は門司再訪も目指したというわけだ。初日は台風の余波で雨が降り止まず断念。二日目にようやく雨が上がったところで、午前中の時間を門司行きに当てることにした。首都圏に住んでいるとあらゆる交通網が自在に使えるため、各地での事情には疎い。地図上では至近距離に見えても目的地へのアプローチは容易くない。福岡から門司迄は先ず新幹線で小倉まで行き、そこから鹿児島本線に乗り換えて一駅。新幹線特急券・乗車券合わせて片道だけでも2380円するから、往復で4760円覚悟しなくてはならない。乗車時間は乗り換えを含めて僅か16分であるにもかかわらず。とは言え、門司行きを断念するつもりはない。私は迷わず朝9時発「のぞみ東京行き」に飛び乗った。 窓際にかじりついていた私は「こんな山深いところだったっけ?」と思った。線路から殆ど海は見えない。降り立った門司は寂しい駅だった。記憶を辿りながら登る坂道に殆ど人影はない。最後は鉄工所に入って道を尋ねた。訝しそうにしていた店主がグーグルマップで確かめて教えてくれた路地を入ると、果たして「北九州市立門司大里柳小学校」の門に出た。「こんな小さい学校だったっけ?」土曜日で誰もいない。外階段から二階のテラスに上ってみたけれど、海は見えなかった。既に校舎は建て替えられていたにしても「こんなはずでは」と思わずにいられなかった。ただ、学校の脇を流れ下る水路の水音は激しく、校舎が戸ノ上山麓にあることを実感させてくれた。ついでに中学校へも行って見た。「ここで英語を学び始めたのか」と思うと懐かしい。 記憶も思い出も頼りにならない。絵に描いたような「過去」と出会うことなどまずないのかもしれない。けれど門司での日々が私に与えたものは無尽蔵だ。感嘆する心を筆頭に。
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