SHORT ESSAYS

初出 大修館書店発行
『英語教育』

<リレー連載>-私の本棚-55 / 2018年 10月号 p.93

1 Kazuo Ishiguroを読むために

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Kazuo Ishiguroを読むために

東洋学園大学特任教授

北田 敬子 

 Kazuo Ishiguro著『特急二十世紀の夜と、いくつかの小さなブレークスルー』My Twentieth Century Evening and Other Small Breakthroughs(土屋政雄訳,早川書房, 2018)は2017年ノーベル文学賞受賞記念講演の記録である。英語原文と日本語の対訳が収録されている。

 創作をどのようなファクターが形成してきたのか、Ishiguroは率直に語っている。とりわけ興味深いのは、薄れゆく記憶の中の日本を作品にとどめたいという欲求で過去に向き合った初期作品の執筆経緯。また、無自覚なままナチスの協力者となった主人に仕えた英国人執事が、モラルも愛情も顧みなかった自分の過去と直面する物語The Remains of the Day(『日の名残り』)について。この鉄面皮の執事が柔らかな感情を垣間見せる瞬間を加えたのは、しわがれ声のTom Waitsの歌に触発されてのことだったと。さらには、小説作品の構成手法をプルーストから学んだばかりでなく、『特急二十世紀』という1934年に公開されたアメリカ映画をビデオで見ながら、読み手を納得させる人間関係を構築しなければ作品は成功しないと気付いたことなど。

 それぞれは「小さなブレークスルー」ながら、個人の記憶に発して国家や民族の歴史まで俯瞰する文学作品の創造へと、Ishiguroが視界を広げていくさまを本書は詳らかにする。彼が五歳の時に渡英して以来、一家は「移民」ではなく「訪問者」のスタンスでいたという点、またIshiguroが家庭では日本語を話し日本から送られてくる漫画や雑誌を愛読しながら、地元の小学校、隣町のグラマースクールへ通ってイングランドの中産階級の少年らしい英語とマナーを身につけたことなど、常に世界文学を目指す彼の原点を再確認することができる。文学・言語いずれの興味にも応える真摯でしかも軽やかな芸術家の肖像がここにある。

 最新作The Buried Giant(『忘れられた巨人』)を含めIshiguro作品を十全に味わうために、これは小さな、しかし示唆に富む一冊と言える。対訳本である点は若い読者に勧めるにも好適であろう。Ishiguro自身が若い世代に期待している。

初出 大修館書店発行
『英語教育』

<リレー連載>-私の本棚-55
2018年 10月号 p.93

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