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9. HAMNET を見て

 

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9. HAMNET を見て

北田敬子

ウィリアム・シェイクスピアの名前を知らない人、『ハムレット』という芝居の題名を聞いたことのない人は滅多にいないだろう。仮にいずれにも馴染みが無くとも、この映画は人の心に強い印象を刻むのではないかと思う。ましてや、いささかでもシェイクスピアに親しんだことのある読者や『ハムレット』に関心を持ったことのある観客なら、この映画を見逃すのは惜しい。

「『ハムネット』?『ハムレット』ではないのか?」という問いには、16, 17世紀にはどちらで呼ばれても構わなかったのだと制作者は明かしている。マギー・オファーレルの小説『ハムネット』を映画化したこの作品は、原作者自身も共同脚本家として映画製作に名を連ねている。ストラットフォード・アポン・エイボンに住む妻アグネス(ジェシー・バックリ―)と、創作や演劇活動のためロンドンで暮らしていたウィル(ポール・メスカル)の長い別居結婚の物語でもある。幼い息子ハムネットがペストで命を落とした時、父親ウィルは傍にいなかった。

座付劇作家と、大地や草木に根差して生きる女の結びつきは当初から簡単ではない。鷹狩をし、薬草を煎じるアグネスが森の中、一人で出産するシーンも二度目に双子を出産するシーンも、ジェシー・バックリ―の圧倒的な演技が傑出している。二人の出会いから求愛、そして出産と固唾を飲む場面が続く。女の肉体の極限を余すところなく描く監督クロエ・ジャオの力量には舌を巻く。やがて不朽の名作を多数創造することになるウィルの仕事に全く引けを取らない存在としてのアグネスを見よ!そう観客はけしかけられているようだ。伝染病に冒された子どもたちを必死に看病し、腕の中でこと切れハムネットを 抱いて絶叫する母親の姿は言葉を超えている。

だが、息子を失った父親ウィルの悲嘆は戯曲『ハムレット』に昇華される。グローブ座のセットは見事だ。16世紀当時の平土間を中心とする(そこに立ち見の観客がぎっしりと詰め込まれている)劇上演シーンは歴史の資料になりそうだ。クライマックスではウィルの渾身の作『ハムレット』の場面が続く。流石にロイヤルシェイクスピアカンパニーの国である。観客(劇中で芝居を見る人々と映画館で画面を見る我々共に)はシェイクスピアの台詞に釘付けになる。アグネスが初めてウィルの作品に触れ、彼の心情を知る場面だ。映画館ではあちこちからすすり泣きの声が聴こえてきた。

映画の中では” To be or not to be, that is the question.” を二度堪能できる。稽古中繰り返される「尼寺へ行け」の台詞、ソネットや、伝承歌謡、ウィルの葛藤もアグネスの喜びや悲しみも全て溶かし込んで、” The rest is silence.”(あとには沈黙。)名画である。


監督 クロエ・ジャオ Chloe Zhao
脚本 クロエ・ジャオ マギー・オファーレル
制作年 2025年 日本公開 2026年4月
制作国 イギリス

★★★★★

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