「窓越しの対話」――インターネットでことばを磨く――

<8> デジタル対話の実践

デジタル時代は「薄口の人間関係の時代」とも言われる。匿名に半分身を隠し、直接的な摩擦を回避するためにメールを多用し、頻繁な交信でその都度の深刻さを防ぐのが常道だとしたら、確かに人格のぶつかり合いとか接触といった人間関係の側面はこの種の交流には存在しない。それを「薄口」と表現するのは的はずれではないだろう。けれども、そのような希薄さを好むことを単純に批判できるだろうか。また、希薄に見える人間関係ないし、交信形態が新たに生み出すものは皆無だろうか。1996年から本格的にメール交信を始め、1997年にサイトを開設して以来、パソコンに触れない日は殆ど無い生活を送ってみて、私自身が得た認識は、いささか異なる。結論から言うと、デジタル機器が可能にするのは先ず何より「自分自身との対話」である。

私は英語教育の現場で学生と多数のメールを交わしながら、英作文の指導を実践してみた。学生の作文を添削して送り返しては、改訂版を受け取り、更に添削を加える。そのやり取りから出来上がった文章を授業専用サイトに公開する。学生はそこに写真やイラスト画像を組み込んで個性を競う。時々海外からもサイトを見た感想が飛び込む。うまく英語によるメール交換に発展する場合もあれば、一度きりの交信に終わることもある。学生たちは課題として書いた文章が、教室の外に出ていき国境をものともしないことに感嘆するし、交流の維持継続の困難も知る。また、英語科目以外の授業でもインターネット上の情報に基づくレポートを提出させる。書籍等の資料に加えてネット上の情報を取り込む技術とセンスは、必要に応じて独力で問題の解決の手がかりを発見する力を養うものと思われる。その活動の中で、学生は常に「自分の求めるものはどこにあるだろう」、「これは自分が必要とするものだろうか」と自問しながらモニターを覗き込む。先に述べたサイトへのアクセスが主体的な行動であることを認めるならば、必要な情報を探し出し、取捨選択し、再構成する過程から学生は「メディア・リテラシー」の基礎を身につけるはずだ。情報源の一つとして、また情報発信の一つの窓口としてインターネットを日常活動の中に組み込むことは、自己との対話を習慣付けることに繋がると思う。自己との対話とは、別のことばで言えば思考と内省に他ならない。

私はまた、短期大学所属学科の公式サイト制作プロジェクトに携わってきた。そこではメンバー間の連携が重要課題となる。複数の仕事を同時に抱えているメンバーが一堂に会してプロジェクトの細目を議論する時間的余裕はめったにない。その時威力を発揮するのが同報メールによる意見交換や進行状況の伝達であることを強調しておこう。進行中の制作物をテストサイトで公開して、各自が自分のパソコン上で確認し合えるシステムは、合理的で効率的な形態と言える。共同作業のために行き交うメールは、チームワークのための潤滑油という側面も持つ。それを参照しつつ短い個別的打ち合わせを重ねて臨機応変に分担を果たせば、全体としての仕事は殆ど全てオンラインで仕上がる。メールとウェッブでの対話は実質的なものだ。このサイト制作を通じて私は多岐に亘るインターネット上の約束事への認識不足を自覚する契機が与えられた。サイト構築作業が、サイバースペースに散在する情報へのアクセス方法を教え、ウェッブ上の資産の活用法を訓練してくれる。躓く度にネット上で出会う人々と「対話」し、ウェッブについて学ぶこととなる。飛び込むことで初めて見えてくること、感じられる手応えは他で行う人間の諸活動と何ら変わるものではない。

最後に私の個人サイトについて述べよう。開設して暫くは定期更新もせず、サイトは時折書き溜めた散文を載せるだけのものだった。二年以上経ったとき、職業とは全く関係のない創作を発表する場に模様替えすることを思い立った。以来、それは純粋な趣味のサイトとなった。不定期にエッセイや詩歌の作品を掲載すると共に、訪問者の数を表示するカウンターを付け、どこからでも書き込み可能な「掲示板」を設置し、幾つかのリンクを張り、短い日記を(日英両国語で)毎日更新している。それだけのことだが、私にとってこのサイトは「窓」の役目を果たしている。窓からことばで自己表現したいという内的欲求を解き放ち、飛び込んでくる外からのことばを受け止める。自分の内面の幾ばくかを外に向けて晒すことは、敢えて外界との摩擦を生むようなものでもある。書いたものへの批判を受けることもあれば、感想が送られてくることもある。しかし誰の審査も必要としないマニフェストの場を持つことは、一個人に与えられたインターネット時代の恩恵であることを痛感する。同時に、書くことが持つ責任も実感する。書くならば志を持ってことばを紡ぐこと、垂れ流される安易なことばではないものを発表していきたいという意欲を掻き立てられるのも事実だ。カウンターは、訪問者の数をゆっくりと刻む。「場」が生きていること、「窓」が機能していることをそれは寡黙に物語っている。

インターネットはIT産業振興スペースとして各界の注目を集め、情報技術革新と起業チャンスの場として語られることが極めて多い。しかし、ことばを介して人と人が出会い、対話を重ねる精神領域であることも忘れてはならないだろう。一つ一つのサイトは世界に開いたほんの小さな窓であるに過ぎなくとも、また飛び交うメールは宇宙の塵にもならぬものであるとしても、サイバースペースは多様な創造活動の場である。そこから学べることも、引き出せる楽しみも果てしない。「対話」の意志を放棄しなければ、「窓」を生かす道はいくらでもある。


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