徒歩記 3

東京の水流
玉川上水を中心に

 

 

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幾度か転居を繰り返し、私が高校二年の時(1969年)両親は国分寺市に家を持った。そこは小平市との境界に近く、西武鉄道国分寺線「鷹の台」が最寄り駅だった。西武線は小さな流れをまたいで走る。これがあの玉川上水とは最初意外の念に打たれた。激流は影も形もなく、深い渓流と見まがう水路の底に僅かな水が穏やかに流れているだけだったのだから。なるほど、昭和40(1965)年、利根川の水を武蔵水路経由で東京に導入すると共に淀橋浄水場が廃止され、玉川上水は上流の小平監視所(西武拝島線「玉川上水駅」脇)までで導水路としての役目を終えたとのこと。昭和61(1986)年に再処理水を流すことで「清流復活」するまで、玉川上水は不遇の時代を耐えていたことになる。これはちょうど日本が高度経済成長期に入り、バブル経済に上り詰めていく期間と一致する。玉川上水路の遺産価値が認知されるには尚二十年の時を要したということか。
それでも上水縁は豊かな緑に縁取られていた。鉄条網などどこにもない。(高校の同級生の知り合いが睡眠薬を飲んで上水に入り、自殺するということもあった。彼女に付き添って花束を供えに行った。)川は浅くても深くても人をおびき寄せる恐ろしいところだという印象を微かに持ちながら、私はこの川辺をしょっちゅう歩き回った。学生時代は遠出する才覚も無いし自由になるお金もない。将来に対する期待と不安ばかりが胸の中ではち切れそうだった。あやふやな思いを抱えて延々と上水縁の道を歩く。車も来ないし滅多に人ともすれ違わないし、夢想家にとっては格好の散歩道だ。

母に頼まれた夕飯の買い物に出たもののちょっとのつもりで寄り道したが最後、上水縁の道を一旦歩き始めるとどこまでも行けるので時間を忘れ、すっかり暗くなってからあたふたと戻って「またどこをほっつき歩いていたの」と大目玉を食らうこともしばしばだった。だが何といっても一番この道が美しいのは五月。武蔵野の雑木林が縦に伸びたような格好の上水緑道は涼しく、水辺は変化に富む景色を楽しませてくれる。エゴノキは満開の白い花をこぼし、ちょっとした山中に踏み込んだような気分が味わえる。

 

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