初出 田崎清忠主催
Writers Studios
2019年 9月8日

散策思索 14

Denmark 探索02

-Christiania

 (クリスチャニア)

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Denmark 探索02-Christiania (クリスチャニア)

北田 敬子

Copenhagenの街に踏み出すと、石畳、噴水、広場を取り巻く建物の均整の取れた佇まいや、そこかしこに見える教会の尖塔にも、10時間の飛行の果てにアジアからヨーロッパにたどり着いた感慨はあった。だが、とりわけ目を引かれたのが車道と歩道の間の自転車専用通路だ。横断歩道を渡っても安心してはいられない。ボンヤリ自転車道に立っていたりすると、「そこどいて」の合図が聞こえる。何度か「あっ」と慌てて飛びのいた。
 朝夕の通勤時刻には、自転車の群れがサーっと流れていく。その数たるや、脇を走る自動車にも負けないのではないか。日本にも自転車は多いし、私自身、自転車の無い生活は考えられない。だが、デンマークの自転車には日本のものとはかなり違うのが混じっていた。

海外から来日した人々は、日本の「ママチャリ」に驚くのではないだろうか。一人の女性がハンドルの内側に子供を一人、後ろのチャイルドシートに一人、中にはもう一人赤ん坊を背負って走る自転車もある。通勤前に子供たちを保育園に送るその姿にはしばしば鬼気迫るものがあり、どうか無事でと祈らずにはいられない。 そのような光景を見慣れた目には、前に大きな座席のあるデンマークの三輪自転車は驚きだった。いわばリアカーの後ろの荷台を前につけたようなものだが、中には複数の子供が座っていることもあれば、ペットや大人が入っていることもある。自転車を後ろでこぐ人は重労働に違いない。父親が子供たちと母親まで乗せて、ゆっくり走る姿を何度も見かけた。

このスタイルのものはChristiania bikeと呼ばれている。Copenhagenを訪れる人の中には、その自転車誕生の地「Christiania詣で」をする人も多いに違いない。そこは市の中心地から南東のChristianhavn(クリスチャンハウン)に近い地区にある「独立自治区」だ。1971年に開かれて以来、政府との対立抗争を繰り返しながらもいまだに治外法権の認められる特別なコミュニティーとして存続している。フリータウンとも呼ばれ、独自の生活様式を追求する人たちが作り上げる“alternative life”の実現可能なスペースとして名を馳せる。

さらにここが有名な理由の一つにマリファナなど(ソフト)ドラッグの売買が半ば公然と行われるGreen Light Districtを擁することも挙げられる。どの旅行ガイドにも、そこだけは写真・ビデオ撮影禁止であることが明記されている。さすがに私たちもその通りに足を踏み入れた時には緊張した。(滅多に手などつながない母娘だが、ピッタリくっついて歩いた。)噂にたがわずずらりと並んだ野外の台の上に、マリファナらしきはっぱを紙で巻いたタバコが売られている。(よく映画などで目にする)独特の火の付け方で「やはり」と分かる。売り手も買い手も男ばかりだった。木陰で嗜む人々は決して幸福そうには見えなかった。  

だが、その一筋を抜けるとKristianiaの広大な敷地にはゆったりとした平和な空気が流れている。森も湖も小径も、そして点在する人々の住まいも大都市の真ん中とは思えないのどかさだ。もっとも、手作りの施設を覆うグラフィティー風のアートには好みが分かれるだろう。自由の象徴と見るか、ひどく素朴な色彩表現と見るか。そしてこの地の住民が考案しblacksmithが作成したChristiania bikeがいたるところに停めてある。今やこの自転車は日本を含めた海外にも輸出され、エコロジーを体現する乗り物として有名になった。(現在の生産地はBornholm島https://www.christianiabikes.com/)。究極のエネルギーは人力である。エゴイストには乗りにくい。起伏の激しい土地にはなじまないだろう。誰もが「まるでパンケーキのような国土」と言う平坦なデンマークならではの産物かもしれない。とは言え、あちこちを歩き回って得た感触では、デンマークの街にもアップダウンはある。自転車こぎには体力が要る。だから電気アシスト自転車を見たときにはホッとした。

旅行前に日本人女性の手になるChristianiaの卓抜なルポルタージュを読んで以来、ぜひ訪ねてみたいと思って来てはみたものの、コミュニティーの内側でどのような生活と自治が営まれているのかは、一介の旅行者に分かるわけもない。夕刻になると、丘の傾斜を観客席に含める野外劇場にたくさんの人が集まってきた。どうやらこれからコンサートが始まるらしい。時間など気にせず、そこに腰を下ろしてライブを楽しめたらいいなと思った。ちょうどその時、突然の夕立。切り上げ時とChristianiaを出たところで大雨に捕まり、傘をさしてもジャケットを羽織っても前へ進めない。暫し大木の下で雨宿りをしていると、通りの向かい側でも建物の陰に身を寄せる人々がいた。雨が降れば人の行動はいずこも同じ。到着したてのCopenhagenが急に親しみ深い街に思えてきた。

その後も3日間のCopenhagen滞在中、観光名所であれ裏道であれ、自転車にはいつでもどこでもお目にかかった。(バイクツーリングによる観光も奨励されている。)自転車が多いのもさりながら、この街には実に子供が多いという印象を受けた。Christiania bikeに4人ほどの幼児を載せて、あるいは手押し車で道行く人が目につく。金髪のふわふわした頭が並んで運ばれていくところは微笑ましい。少子高齢化著しい国から来た者の目には、いたるところに子供がいる風景は目覚ましい。連れているのが女性と限らず同じくらい男性でもあるところも目覚ましかった。

自転車で移動するのが好都合な街のサイズというのは、歩行者にとっても移動しやすい。Copenhagenのバスや電車、そして地下鉄にはCopenhagen Cardが重宝した。運河のクルージングもこれでカバーできる。Nyhavn(ニューハウン)という河岸から平たい観光船に乗り、水上から街の名所を眺める定番のコースに私たちも乗ってみた。確かに、爽やかな川風に吹かれて色鮮やかな伝統的建物、驚くほど斬新な現代建築、女王陛下のヨットなどに歓声を上げながら次々に橋の下をくぐるクルージングはテーマパークの遊覧ボートとはわけが違う。おしゃべりなガイドは客の顔を見て英語とイタリア語を巧みに切り替えながら喋りまくる。東京で隅田川・神田川・日本橋川のクルージングに二度も乗った私は「ああ、何という違いだろう!」とこの時ばかりは西洋かぶれになりそうだった。高速道路を建設するために運河を犠牲にした我が国の都市計画と、街を守るためにドイツ軍の占領にすら耐えたデンマークとの大きな違い。1964年の東京オリンピックで失われたもののことを思うと、胸が痛んだ。そう単純な話ではないけれど、海外に出ればどうあっても祖国を思う。第一「祖国」などという概念は、自国にいては浮かばない。

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