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散策思索 38 「築地大橋を渡る」 |
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散策思索38 「築地大橋を渡る」 北田敬子 2024年の夏も、連日35℃を超える猛暑が続く。日本各地で40℃に近い気温の上昇も既に特殊な現象ではなくなったようだ。40℃を超えると猛暑は酷暑と名を変える。TVからは「危険な暑さです。外出を控え、クーラーのある場所でお過ごしください」という警告が聴こえて来る。存分に空調の効いた部屋で暮らせる人はそれで良かろうが、叶わない人たちもいる。畑仕事に出て戸外で倒れた人や冷房のない部屋での高齢者の訃報が相次ぐ。これまで長い間経験してきたのとは異なる暑さに今、私たちは直面している。 夏の異常な暑さと共に熱中症という病名がクローズアップされ続けている。年齢を問わず人は熱中症に罹る。甲子園での高校野球でさえ、熱中症対策に日中の時間帯を避け午前と午後の二部制が今年から施行されることが決まった。しかも5回終了時にはクーリングダウンが行われる。最早この暑さは「根性」や「気合い」で乗り切れるものではないことを誰もが認めたわけだ。 そのようなことをつらつら考えながら、私は東京都心の地下鉄大江戸線「築地市場駅」前から新大橋通りを南に向かって歩いていた。築地に来るたび勝鬨橋の中央から隅田川を眺めるのが好きで、卸売市場が豊洲へ移って以来益々見晴らしのよくなった川の景色を堪能するのが習いとなっている。今夏、勝鬨橋の先にあるもう一つの橋梁に惹きつけられた。それが隅田川に架かる最後の橋「築地大橋」であることは知っていたものの、渡ったことはなかった。遠目にも橋桁の曲線が美しい。それぞれ意匠を凝らした隅田川のどの橋とも違うフォルムに俄然興味が湧き、行ってみたくなった。しかし、この暑さである。熱中症で倒れたりしたら洒落にもならない。どうしようか。 私にできる備えは日傘、帽子、水筒、そして首の周りに巻くアイスネッククーラー程度だ。この装置は冷凍庫で10分以上冷やしておくと固まり、装着すると首の周りを22℃に保ってくれるという、NASAが開発した熱可塑性ポリウレタンなるもので出来たリング状の首巻である。(保冷材の進化形と言ったらよいだろうか。)熱暑の中ではせいぜい1〜2時間持続すれば上等と思われる。それでも無いよりはましだ。少しでも体調に不安が生じたらすぐ木陰か冷房の効いた建物に避難しようと決心して、白昼の散策を開始したのだった。 築地市場跡地は市場が豊洲に移転した後、2021年の東京オリンピックの時には車両基地として活用された。同施設が撤去されてからは再開発に向けた基礎工事の開始を待っている。194,679平方メートルの土地に9千億円をかけて2030年頃までに5万人は収容できるマルチスタジアムを始めオフィス、住宅、商業施設などを集めた大規模な”ONE TOWN X ONE PARK”と銘打った再開発事業を東京都は計画している。新しい地下鉄を通し、空からも水上からもアクセスできる場所にする気でいるようだ1。 築地市場駅のすぐ近く、工事現場を囲う塀の上に「マグロ塚を守る会」が設置したプレートがあるのに私は気付いた。1954年3月1日の米軍によるビキニ環礁での水爆実験によって被爆した「第五福竜丸」(および同じ頃同じ海域にいた漁船)が持ち帰った魚の放射線汚染が判明して、魚は築地市場敷地内に埋められ廃棄されたという。それを記録するために作られたプレートが残されている。石の「塚」自体は「第五福竜丸」の保存施設に移設されている。果たしてこのプレートは再開発事業完成後にも築地に保存されるだろうか2。 汐留のビル群を背に新大橋通りから環二通りを東に曲がると、前方には築地大橋のアーチが煌めき、右手隅田川の河口方面には手前に浜離宮の樹影、その先にレインボーブリッジが見え隠れする。左手フェンスの内側の茫漠とした工事現場の彼方に勝鬨橋が見える。築地大橋の欄干とアーチの間に歩道が通り、誰もいない真昼の築地大橋を私は一人で渡った。カンカン照りの空はあくまでも青く、工事現場の黄土色からクッキリ隔てられた隅田川の幅広い流れは空の色を濃く映している。水上バスが白波を蹴立てながら築地大橋を潜り抜けてきて、軽快に勝鬨橋を目指して運航していく。その波に煽られながら、デッキに一人の男が座る小さな「監視船」が赤い旗を立てて辺りを巡行している。都心でこんなに壮大な景観を独り占めにできる場所はなかなかない。 2022年に全面開通した築地大橋の橋桁は外側に向かって僅かに14°傾くアーチを成す、絶妙なバランスの造形美を形作っている3。これが河口すなわち海に最も近い隅田川の最新の橋だ。橋の欄干にもたれて上流を思う存分眺めた。いつまで見ていても見飽きない。どうかこの地に相応しいものをと工事現場を見据えて私は願う。橋のたもとをのぞき込むと石積みの土台の上にアオサギとウミウらしい鳥たちが群れている。そこはちょうど隅田川テラス(岸辺の遊歩道)の行き止まりとなり、開閉式の堰を隔てて新月島川の出入口でもある。その運河に架かる浜前橋の上からは釣り船が多数係留されているのも見える。運河の先には大小様々なマンション群が川縁に林立する。隅田川に流れ込む中小の河川は、おそらく江戸時代から姿を変えながらも営々と続く人々の暮らしを映し出してきたのだろう。目くるめく川の風景には時を超えた魅力がある。 川と橋に夢中になる余り、私は熱中症の警告のことは忘れかけていた。なにせ川風が心地よい。海がすぐそこにあるのが分かる。空は広い。川沿いの路地に彷徨いこむと休憩できそうなカフェなど見当たらなかったので、歩みを止める気にもならずに結局そのまま北の方向に月島まで行った。流石に暑い。これが危険な暑さに違いない。ようやく「もんじゃ通り」と呼ばれる商店街に辿り着いて、昼日中に殆ど人の気配がないことを訝しがりながらも思い切って一軒の店の扉を開けると、もんじゃ焼きの鉄板を囲む客が結構入っている。「いらっしゃい!」と景気の良い声に迎えられて私はそのまま席にへたり込んだ。 「心頭滅却すれば火もまた涼し」とは言え、禅僧とて熱中症を免れるわけではあるまい。灼熱の街路を逃れて熱々のもんじゃ焼きを頬張り、昔ながらの変哲もない氷イチゴをシャリシャリ食べて、私は命をつないだ。暑かろうが寒かろうが「あそこに歩いて行ってみたい」という衝動がある限り、私の彷徨癖は治まりそうもない。それでもやはりこの暑さに無謀な行動は慎まなくてはと、すっかり溶けてしまったアイスネッククーラーを首から外しながら私は呟いていた。
「築地大橋を渡る」写真ページ(撮影 北田敬子) 参考 註: [散策思索37]は「映画評」として4. 『オッペンハイマー』を見てに掲載した
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