「窓越しの対話」――インターネットでことばを磨く――

<6> サイトという対話の場

サイト主催者は他者を自分のマニフェストへと突き動かすことが出来るかどうかが問われている。一向に更新もされなければ面白くもないコンテンツしかないサイトを訪れる人は殆どいないだろうし、そうなればサイトの「存在」は限りなく「無」に近いものとなる。物理的、肉体的にこの世に存在すること以外にも自己の存在証明を企むサイト主催者は、自己顕示欲が強くなくてはならないし、自己表現の技を磨かざるを得ない状況へ自分を追い込むことにもなる。

そうまでしてサイトを開設することの目的は、ひとえにサイバーワールドでの対話を実現することにある。例えばサイトに「チャット」機能を組み込んでしまうことによって、(主催者を交えても交えなくても)訪問者たち同士にリアルタイムでの文字交信の場を提供できる。しかし訪問者がメッセージを書き込める「掲示板」(Bulletin Board System = BBS) の方がアクセスの自由度は高い。中には「掲示板」でのやり取りしか見ずにサイトを出ていってしまう訪問者もいる。自分では書き込みをせず読む一方の訪問者はROM (read only member)と呼ばれるが、発言しない自由もまたサイトでは保証されている。何の義務も責任もなく、そこを訪れて誰かが何かをいっているのを読めばいいとしたら、これは気楽なウェッブへの参加形態と言える。サイト主催者にはそのような「場」を提供しようとするサービス精神の持ち主が多い。いわば自宅を開放してパーティーを開くホスト・ホステスの役割を引き受けるのがサイトの開設者(ウェッブマスター・ミストレス)ということになる。勿論そのような精神の根底に、自らのイニシアチブでウェッブ上の交流を創出したいという欲求が働いているのは言うまでもない。優れた主催者はむしろ陰に隠れて掲示板上のやり取りを見守る。訪問者の発言を寛大に受け容れながら、一旦トラブルが発生したら即座に仲裁に入り、管理者権限で発言を削除したり警告を発して諍いを未然に防ぐ手腕を発揮する。サイト管理の巧みさが新たな訪問者を誘い出すことにも繋がる。

言語表現に加えて、画像と音声がサイトを彩る要素であることは既に述べた。MIDIファイルを組み込んで音楽を流したり、そもそも音楽を聴かせたり提供するのが目的のサイト、画像の展示場であるようなサイトでは、書きことばは補助的な役割しか果たさない。とはいえ、「対話」を求めるのは人間の本性らしく、主催者が制作した画像・音声へのコメントを書き残していってくれるよう求めているのをしばしば目にする。サイトで直ぐ使える「素材」を無料で提供するのが専門のサイトでも、「使用の際にはご一報を」という但し書きがある。「一報」とは「対話」の要求だろう。また、比較的低年齢のネットユーザーたちの間で人気を博しているのが、「お絵描き掲示板」だ。書きことばによるメッセージの代わりに、若い訪問者たちはサイトに組み込まれた描画ソフトを駆使して絵を描き残していく。すると次々に別の訪問者たちがその絵に対して寸評を加え、より多くのコメントを頂戴した作品が自動的にページの先頭に表示され、人気を競い合うというお楽しみが成立する。やはり添え物であってもことばの果たす役割は看過できない。このような相互作用(インタラクション)がサイトの大きな魅力となっている。人々はサイバースペースで密かに、また明らかに、人と出会ってことばを交わすことを求めている。サイトが「在る」ことは、そこに人が必ず関わっていることの証なのだから。サイトはサイバースペースにはりめぐらされた蜘蛛の巣上の、情報交換と人間的交歓の「場」としてネットピープルの到来を待ちかまえている。


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