徒歩記 3

東京の水流
玉川上水を中心に

 

 

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■本郷給水所

しかし、我々の生活水がどこから来るのか、普段は目に触れないというのも考えてみるといささか奇妙ではある。水道の栓をひねればいつでも安全な飲料水が確保できるという暮らしは楽だが、その基盤についての知識がないのも心許ない。首都圏の水源と給水に関して漠然とした関心を抱き始めていた頃、私は勤務先の東洋学園大学本郷キャンパスすぐ近くに「東京都水道歴史館」があることに気づいた。大学正面玄関から向かいの新壱岐坂を越えて一筋南へ入ると、深閑とした住宅地になる。
そこから東へほんの数ブロック行ったところに「本郷給水所公苑」がある。苑内はバラ園と野趣溢れる日本庭園となり、その一角に神田上水石樋が埋め込んである(上の写真)。噴水からこんこんと湧き出す水は暗い石樋の中へ吸い込まれていき、土手を野草が覆う。一見とても都心とは思えない空間だ。嘗てこのような水路を人の手がつくり、延々と関東平野を横切って来た水が江戸市中へ配られていたのかと思うと感慨深い。

この公苑は給水所の上に土をかぶせて作られたものである。そしてそこに隣接するのが「東京都水道歴史館」だ。無料で公開されている。一階が「近代水道」、二階が「江戸上水」の展示場となっている。(三階は水道に関する資料閲覧室。)二階には東京の開発によって出土した江戸時代の水道木樋や木製の上水井戸が並ぶ。地下水をくみ上げる井戸の他に「上水井戸」があったというのも面白い。(時々鯉や鮎が泳いでいたとのこと。上流から流れてきたものか。)またここには江戸時代の長屋が復元してあり、上水井戸を囲む庶民の暮らしを想像することができる。そして人形劇とアニメーションを組み合わせた小さなジオラマ劇場が玉川兄弟の開削事業を子ども向けに解き明かす。単純なものながら玉川上水の歴史がよく分かる。一方「近代水道」には明治以来、どのように首都圏への給水が拡大していったのか、豊富な模型と電光掲示板、写真や図版などで詳しく説明してある。今は都庁舎を始め高層建築が林立する西新宿エリアに、淀橋浄水場があった様子を示すマジックビジョンも興味深い。ここで眺めてみると、玉川上水が江戸・東京の上水道ネットワークに果たした役割の重要性が確認できる。水のないところに人は暮らせない。確かに給水システムの成功が江戸、そして東京という近・現代都市の出現を可能にした重要なファクターだったのだろう。

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