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そのような由緒正しい日本最古の植物園ではあるけれど、私はここをどんな
能書きからも解き放たれた都会の森として愛している。五月の森はそぞろ歩くものをみずみ
ずしい若葉で涼しく包み込むし、真夏の森は砂漠化した都会の熱暑からしばしの休息を与え
てくれる。紅葉の季節にも小春日和にも、早仕舞の日の勤め帰りやふと空いた時間に、そう
だ行ってみようといつ訪れてもここは深閑としている。「他の植物園に比べると芸がないで
すよね。もっと来園者に親切な(植物の)紹介方法をしてくれてもいいと思うのに、素っ気
ないんだから」という不満の声を聞いたことがある。たしかに、来園者を啓蒙しようとか楽
しませようという意欲はちっとも感じられない。研究施設然とした、取り付く島のなさが勝っ
ている。でも私はそこがよいと思う。俗化しないのである。巨木は巨木のまま、繁みは繁み
のまま、所々に思いがけない花を咲かせながら、水辺へと小径は続く。池から見上げる台地
は鬱蒼と小山をなし、ここが都会の直中の植物園であることなど忘れさせてくれる。作られ
すぎていないのが、都会では何より貴重なのではなかろうか。
塀に囲まれたこの森が庶民の物見遊山の場所になったことはなかった。かつては排他的で高踏的な別世界だったのだろう。それは社会的にはアンフェアなことだったかもしれないが、
森が踏み荒らされ木々を伐採される危機からは逃れた。今となってはこの別天地を如何に保存し、 未来の世代に手渡すか思案することが課題ではないかと思う。
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