青森から函館へ 晩夏の旅 20249.10 - 9.12, 20241. 青森 / 2. 青森・函館(1), (2) / 3. 函館(3) / 4. 函館(4)
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 岩木山。頂上は雲に隠れていたものの、「岩木富士」と呼ばれる山容は美しかった。  | 
      
 宿舎「アソベの森 岩木山荘」屋上から早朝見渡したあたりの風景。  | 
    
 遠い山並みも見事だったが、浮雲の様子も見飽きない。  | 
      
 青い森、青森という名前のゆかしさを思う。  | 
    
 レンタカーで走る沿道には遥かに続くコスモスの群れが満開だった。  | 
      
 沿道のコスモスと同じように見事だったのは風に揺れるススキの穂。関東地方に比べるとススキも早いようだ。  | 
    
 「三内丸山遺跡」に到着。  | 
      
 「世界文化遺産『北海道・北東北の縄文遺跡群』特別史跡三内丸山遺跡」というのが正式名称だ。  | 
    
 約3,900~2,200年前の縄文時代前期・中期にかけて営まれていた生活・住居の跡が拡がる。  | 
      
 環状配石歩墓  | 
    
 広い敷地の中には木立が随所に残されている。  | 
      
 数種類の復元住居が配置されている。  | 
    
 さて、どこから?と迷うほど多様な住居群。  | 
      
 グループの訪問客がまとまって説明を受けている。  | 
    
 手前は円錐形のやぐらを組んで中に屋根を葺いた住居。  | 
      
 ひときわ目を引く「大型竪穴建物(復元)」  | 
    
 掘っ立て柱建物(復元)が並ぶ。  | 
      
 上記「大型竪穴建物(復元)」の入り口。  | 
    
 「大型竪穴建物(復元)」の入り口内部  | 
      
 「大型竪穴建物(復元)」内部。力強く組まれた梁や柱。  | 
    
 大型掘立柱建物(おおがたほったてばしらたてもの 復元)  | 
      
 大型掘立柱建物  | 
    
 大型掘立柱建物  | 
      
 大型掘立柱建物(下から見上げたところ)  | 
    
 上記「大型竪穴建物(復元)」を裏側から見たところ  | 
      
 「北盛土」土器や石器が土と一緒に捨てられた場所。壊れた土器が拡がっている様子。  | 
    
 掘っ立て柱建物(復元)の屋根には草が生えている。  | 
      
 三内丸山遺跡の敷地は原生林に続くような野性的景観を保つ。  | 
    
 竪穴建物(復元)  | 
      
 全面草に覆われた竪穴建物(復元)  | 
    
 ムラのほぼ全景が見える  | 
      
 この道を抜けてタイムトラベルを!  | 
    
北海道 函館 (1) 「新青森」から「新函館北斗駅」までは北海道新幹線で約一時間。車中で駅弁を食べながらトンネルを抜けると(当然のことながら)北海道だった。同窓会の主賓Nakaya先生と車中で邂逅。益々賑やかに!  | 
      Hakodate, Hokkaidou (1) 北海道は広さの規模が本州とは違う。予約してあった観光タクシーで「新函館北斗駅」から「函館」へ直行。道すがら北斗市と函館市の近況を教えてもらう。函館からの人口流出、不漁(イカ釣り漁船の激減)など、驚くことがいっぱい。  | 
    
 最初の目的地、北斗市の「トラピスト修道院」に到着。この美しい並木道は数々のポスターや映像作品でつとに有名。  | 
      
 空はどんよりしている。涼しさに感激しつつ...。 修道院特製のソフトクリームは北海道随一の味とか。(確かに心もとろける美味しさだった。 
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 上り坂の果てに、修道院の入り口が見える。  | 
      
 振り返ると下り坂、先ほどの並木道が遠方に。  | 
    
 修道院入り口の建物。観光客が入れるのはここまで。  | 
      
 ファサードの上方にはマリア像。  | 
    
 閉ざされた門扉には"MONASTERIUM BEATE MARIA VIRGINUS DE PHARO"「灯台の聖母トラピスト修道院」の文字。  | 
      
 門の向こうに修道院の建物。  | 
    
 会堂。  | 
      
 ポプラと杉の並木道。  | 
    
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