青森から函館へ 晩夏の旅 2024

9.10 - 9.12, 2024

1. 青森 / 2. 青森・函館(1), (2) / 3. 函館(3) / 4. 函館(4)

石川啄木一族の墓は、函館のの大森浜を見晴らす山の斜面にあった。詩人が帰りたいと願ってたどり着いた函館の街を眼下に収める。晩夏の晴天の日だったので、海は美しく輝いていた。立待岬では存分に海を眺め、最後はトラピスチヌ修道院の瀟洒な建物を見て多様な文化の共存の有様に深い印象を受けた。

当然のことながら、青森も北海道も何度でも訪れたい土地である。その最初の一歩を踏み出せたことを旅の仲間に深く感謝しつつ、函館空港からローカルエアーに乗って帰京した。飛行機に乗ると、海外へも出たくなる。いつか、また!

1. 青森  (一日目)青森駅前ビーチ、八甲田丸、ねぶたの家ワ・ラッセ 弘前、岩木山神社、アソベの森いわき荘泊

2. 青森・函館(1)(二日目)三内丸山遺跡、新青森-新函館北斗駅(観光タクシーにて)トラピスト修道院、

函館(2) 五稜郭タワー、函館山(ロープウェイ)、函館市内夜景見物、湯の川一乃松旅館泊

3. 函館(3) (三日目-1)市電にて函館市内元町へ、元町散策

4. 函館(4) (三日目-2)立待岬、トラピスチヌ修道院、函館空港、AirDoにて羽田

啄木の墓がこんな風光明媚なところにあることに驚いた。

しかも一族、家族と共にある墓所であることにも一種の安堵を感じた。

啄木作、「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」の一首が刻まれている。

これは嘘いつはりもなく正直にいうのだ
「大丈夫だよしよしおれは死ぬ時は函館
へ行って死ぬ」その時斯う思ったよ何
処で死ぬかは元より解った事ではないが
僕は矢張死ぬ時は函館で死にたいよう
に思う君 僕はどうしても僕の思想が時代
より一歩進んでいるという自惚をこのご
ろ捨てる事が出来ない

明治三十四年十二月二十一日
東京本郷弓町二の十八 石川啄木
郁雨兄

函館博物館「南北海道の文化財」サイトを参照


長く東京本郷で啄木の寄留先等を探索してきた私は、没後に啄木の遺骨が望み通り函館に移送されて埋葬されたと知り、感慨深いものがある。

啄木一族の墓所から見晴らす津軽海峡大森浜

啄木の義弟にあたる歌人宮崎郁雨と夭折の歌人砂山影二の歌碑

ひたすらに青い凪いだ海の表を見ていた。

立待岬へ至る道筋。

立待岬へ行く道

立待岬へ行く道

津軽海峡を見晴らす。

「立待岬」

岬には既に秋草が生い茂っていた。

逆光の海

岬の断崖

風にそよぐススキの穂

函館山山頂方面

晩夏の海

柵の模様はイカだ(不漁になる前は当地きっての特産物だった。)

いつまでも見ていたい晩夏の海

函館の中心地から僅か15分ほど車に乗っただけでこのような荒々しい景勝地に至ることに驚く

岩場の向こう、津軽海峡は青い

函館山散策コースへ続く道

 

街へ下りて、お菓子の店「六花亭」から望む津軽海峡

「六花亭」から望む立待岬

厳律シトー会 天使の聖母トラピスチヌ修道院 
入口に立つ「大天使聖ミカエル像」

日本最初の女子修道院

聖母マリア像

トラピスチヌ修道院前庭全景

聖母マリア像

瀟洒なレンガ造りの修道院の建物

修道院の庭への扉

修道院の建物の扉

修道院の建物と尖塔

遠く海峡を見晴らす前庭

函館空港 AirDoの手続きカウンター

搭乗口への通路

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これにて二泊三日の旅終了
  © Keiko Kitada