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カズオ・イシグロの
『クララとお日さま』
が問いかけるもの

 

 

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これは、2025年2月14日に東洋学園大学「ことばを考える会」より出版された、シリーズ『ことばのスペクトル システムと多様性』(鼎書房)所収の一編をウェブ版として公開するものです。

カズオ・イシグロの「クララとお日さま」が問いかけるもの

北田敬子

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1. カズオ・イシグロとクララ
 
 2017年度のノーベル文学賞受賞後初めての長編小説を、世界中の読者が待ち構えていた。作品ごとに舞台も形式も登場人物も様々に変容するイシグロの作風は大方の予想を裏切る。前作『忘れられた巨人』(2015)は中世のブリテン島に立ち込める霧の彼方から騎士たちが現れ、人々の記憶を奪う竜を退治するという奇想天外なファンタジーであった。およそあの端正なイングランドの大邸宅で繰り広げられる『日の名残り』(1989)の世界とはかけ離れた、荒々しくも神秘的な、寓話の如き小説である。

『クララとお日さま』は2021年に世界で同時に発売された。物語の語り手クララは人間ではない。作中ではAF(Artificial Friend)と呼ばれる人工知能搭載の人型ロボットである。それを知った読者の多くが先ず思い起こすのは、『私を離さないで』(2005)に登場した臓器提供を目的に生み出されたクローン人間たちのことではないだろうか。ヘールシャムという特異な寄宿学校で教育を受けた後、次々に臓器提供者となりまたその介護人となって短い生涯を終えて行く若者たちに、希望や明るい未来などはなかった。それにもかかわらず、この小説は人気を博し映画化もされて読み継がれている。SFというには科学技術への言及は最小限で、眼目はそこにない。「クローンに人としての尊厳は認められるのか」という問いが全編に通底している。読者は戦慄を覚えつつ読み進むうちに、ヒトの形をしたヒトならざる者への共感や反発を経験することになる。

ではクララはどうなのだろうか?「ヒトの形をしたヒトならざる者」と共存する未来があるとしたら、われわれはどのようにそれを受け止めることができるのか。それを自然の成り行きのように受け入れて生きる未来はあるのだろうか。

凄まじい勢いで発達しつつあるChatGPTや生成AIの現状を目のあたりにすると、それをただ科学技術の専門家だけに任せておけばよいと受け流すことは出来そうもない。人間が既得領域としてきた分野への活用によって従来人間が担っていた仕事がAIに取って代わられるという局面が過大視される。しかし、技術の先行ないしは人間に作られたAIが人知を凌駕し、独走し始めるのではないかという危惧が囁かれるようになった現在、凡そ科学技術の発達とは無縁のところに位置すると思われてきた文学の領域でも、作家は想像力を武器に、AIについて思いを巡らせ、未来へのヒントを掲げられるのではないだろうか。少なくとも文学上のシミュレーションは可能だ。クララの登場が示唆するものを「子供だましの単純なロボットのお話」と見過ごすことはできない。

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