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Klara and the Sun

 

カズオ・イシグロの
『クララとお日さま』
が問いかけるもの

 

 

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これは、2025年2月14日に東洋学園大学「ことばを考える会」より出版された、シリーズ『ことばのスペクトル システムと多様性』(鼎書房)所収の一編をウェブ版として公開するものです。

カズオ・イシグロの「クララとお日さま」が問いかけるもの

北田敬子

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8. クララの引退

 ジョジーの回復によってプロジェクトが頓挫したカパルディ氏は、世間のAFへの反感や偏見を拭い去るために、クララに「リバースエンジニアリング」を施して、ブラックボックスの解明を図ろうとクリシーに持ち掛ける。「クララには、世に残る貢献ができるチャンスだ・・・・・」と言って。しかしクリシーは猛反発する。「クララにそんな不当な扱いは許さない。そっと引退させてあげたいの」(p420)というのが彼女の言い分だ。

 ジョジーが成長し、大学進学と共に家を離れるときには、既にクララのAFとしての役目は終わっている。クリシーはそれを「引退」と呼ぶ。ジョジーが休暇で帰宅するときにクララがまだ家にいるかどうかは定かでない。「あなたは本当の親友よ」と言い残して去っていくジョジーは既にクララより大分背丈も延び(クララは肉体的成長を遂げない)、クララへの執着は皆無だ。「親友」という割には、物語の中でジョジーとクララが二人だけの秘密を分かち合うなり、共謀して行動するということもない。クララが周囲を観察し続け、ジョジーの安寧を注視し続ける一方的なアクションの方向性があるばかりで、ジョジーからクララへの積極的なアプローチは特に見当たらない。クララはかつて店のショーウィンドーから、一人の少女の三歩後ろを男子AFが歩いているのを見かける。

その三歩が偶然の遅れではないと見てとるには十分でした。あれは少女が決めた遅れです。自分が前、AFは三歩後ろ、と。周りの通行人には、あのAFが少女に好かれていなことが一目瞭然だったでしょう。それを知りながら甘んじて歩いているAFは見るからに足取りが重く、その心中はどんなだろうとわたしは思いました。やっと家が見つかったのに、その家の子にいらないと思われているというのは・・・仲よくすべき子にさげすまれ、拒絶されながら、それでも一緒に暮らすAFがいる。それはこの少女とAFのペアを見るまで、わたしが思ってもみないことでした。(p.18)

 これほどの乖離はジョジーとクララの間になかったものの、ここで浮かび上がってくるのは「ヒト=主人、AF=従者」という関係である。イニシアチブをとる人間が無用と判断すればAFは容赦なく破棄され、関係を断ち切られる。そこには人間とペットが結ぶ絆さえもない。あたかもそうしなければ人の優位性が揺らぐとでもいうかのように。したがって カパルディ氏の提案するAFの社会「貢献」より、クリシーの主張する「静かな引退」の方が家族だったAFには相応しいという考え方が前面に押し出される。かくて、クララは家庭内の物置から広域の「廃品置き場」へと退いていく。

 

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