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カズオ・イシグロの
『クララとお日さま』
が問いかけるもの

 

 

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これは、2025年2月14日に東洋学園大学「ことばを考える会」より出版された、シリーズ『ことばのスペクトル システムと多様性』(鼎書房)所収の一編をウェブ版として公開するものです。

カズオ・イシグロの「クララとお日さま」が問いかけるもの

北田敬子

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9. クララの行く先

 『クララとお日さま』の最初の場面と最後の場面は、AF販売店の「店長さん」の登場で呼応している。打ち捨てられたクララはAFの残骸を捜し歩く店長と再会する。数年を経て店は閉じ、店長自身にも老いの影が差し、ジョジーと同じように片側に傾きながら歩いている。AF販売が隆盛を極めたわけではなさそうなことが推測できる。それでも彼女はクララが買われていった家庭で役目を果たせたかどうかに関心があり、「できるサービスをすべて提供してジョジーが寂しがるのを防ぎました」(p. 429)というクララの答えに安堵する。クララが報告するAFとしての人間観察の結論、人の心には何か特別のものがあるかどうかという問題についてはこのように語る。

(人に)特別な何かはあります。ただ、それはジョジーの中ではなくジョジーを愛する人々の中にありました。だから(「ジョジーを継続する」という)カパルディさんの思うようにはならず、わたしの成功もなかっただろうと思います。わたしは決定を誤らずに幸いでした。(p. 431)

 話し相手が欲しいならG3モデルのいる一角へ移動してはどうかと問う元店長にクララは「当面、振り返って整理すべき沢山の記憶がありますから」(p. 432)と断る。では、クララには記憶や判断力はあっても、寂しさや悲しみに苛まれることはないのだろうか?人の心を占める最大の要素である喜怒哀楽が希薄なAFにヒトへの共感が成立するのかどうか。クララ自身が危惧した、持ち主に疎んじられるAFの「心中(しんちゅう)」とクララ自身はどう折り合っているのか。
 

 現代人は「ペットロス」ですら心に負う深い傷として語る。愛玩ロボットを所有する人々は少なくない。将来、ディバイス上で作動するChatGPT(広義のAIロボット)ではなく、それと等価のシステムを搭載したよりリアルな人や動物の形態を持つメカニズムが登場したら、ヒトが手を出さずにいられるだろうか。近未来小説の中には優れたAIとヒトが性的関係を結ぶ物語*が既に存在するし、そこではヒトがAIをライバルと見做す理由が十分にある。失われた身体機能を補填する人工四肢がパラリンピックで絶大な成果を上げるところを目にする限り、トータルな人間の姿を再現するヒューマノイドの登場はむしろ時間の問題とすら言えるかもしれない。人間側の心構えが整わないうちにその事態が出来したなら、どれほどの混乱が生み出されるだろか。

 そこで、クララが「継続」のプロジェクトを拒絶した根拠を再検討する必要が生じる。作中では死を乗り越えるための特定人物の継続・再現には無理があるとされている。だが、新品の人型ロボットならば最初から関係性が構築できるかもしれない。その場合ヒトからモノへの愛着の流れが生まれる可能性も大いにある。単に消費して捨てるというプロセスを辿るだけでは済まない心情がヒトに芽生えるかもしれない。『クララとお日さま』の読者がジョジーやクリシーに期待していたのはそこなのではないだろうか?イシグロが敢えて登場人物たちにクララへの思い入れを表現させないのは、クララにそのことへの感受性が未だ不足しているからかもしれないし、双方から過大なセンチメントを排除することでヒトとロボットの交情に敢えて踏み込まない姿勢が取られているのかもしれない。

 読者はクララという語り手に全権をゆだねている以上、書かれていることと書かれていないことの両方に目配りする必要がある。クララには未発達の感覚や感性があって当然である。この物語の「ヒトの形をしたヒトならざる者」はスーパーウーマンではない。愚かさも未熟さも抱える少女である。その脆弱さゆえに、捨てられてもネガティブな思考をしない愚直さゆえに、AFは「希望」という手垢のついた言葉にも清新な意味を吹き込む。クララの「引退」は「死」と等価ではなかろう。

 2022年にイシグロは黒澤明監督の『生きる』をリメイクした映画『Living 生きる』のシナリオを書いた。アカデミー賞にノミネートされたその作品は、彼の名前を小説にとどまらず改めて世に知らしめた。その重厚さの対極で『クララとお日さま』が若い読者への訴求力を持つことは間違いない。AF / AI と共に生きる人々の未来を照らす作品として、これが一つのスタンダードになる可能性は十分にある。光とエネルギーのの根源「お日さま」が担う役割と、クララに芽生えた「心」のありさまは、科学技術一辺倒では明かしきれないミステリーの存在を静かに訴えている。

【註*】
AIとヒトが性的関係を結ぶ物語* イアン・マキューアン 『恋するアダム』(松村潔訳 新潮社 2021)

【出典】
本文中の引用・日本語訳は全て原作Kazuo Ishiguro Klara and the Sun ((Alfred A. Knopf, New York 2021)の日本語版『クララとお日さま』(カズオ・イシグロ原作 土屋政雄訳 早川書房 2021)による。示したページ数は日本語版。

 

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『ことばのスペクトル システムと多様性』(2025 鼎書房)

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