SHORT ESSAYS
An Essay on Klara and the Sun |
カズオ・イシグロの
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これは、2025年2月14日に東洋学園大学「ことばを考える会」より出版された、シリーズ『ことばのスペクトル システムと多様性』(鼎書房)所収の一編をウェブ版として公開するものです。
カズオ・イシグロの「クララとお日さま」が問いかけるもの 北田敬子
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4. 買われてきたクララ クララは既製品であり、商品である。だが人形ではない。変化していく可能性を秘めた人工頭脳であり人の形をしたロボット、すなわちヒューマノイド(humanoid)である。2024年現在の時点でそのようなロボットは現実社会に未だ普及していないものの、類似品は深く静かに生活の中に拡がってきている。例えばペッパーはどうだろう。各種店舗や公共施設の受付として、音声と画面を通じて訪問者や顧客対応の一端を担うことはできる。明確に人の形はしていなくても部分としてなら簡単な模倣品はもっとある。昨今ファミリーレストランで「配膳ロボット」に接したことのある人は多いのではなかろうか。「お待たせしました」という声に客が振り向くと、自走式のワゴンが注文した料理を載せて席まで運んできている。家庭内の掃除ロボットは「清掃を開始します」「動きが取れません。何かが絡まっています。メインブラシを点検して下さい。」「清掃を終わります」「充電を開始します」などという言葉を随時発しながら床を走り回る。どこで掃除を終えても自ら充電ポートへの最短距離を探し出してその場所へ帰って行く。あたかも思案するように進行方向を判定しようとしている円盤型の機械は、これまでは名もなき労働であった掃除を手堅く代行する主体であるようにすら見える。電化製品の一つの形に過ぎないと言えばそれまでながら、自走し発話でヒトの反応を促すところが電気釜や洗濯機とは異なる。 クララは単純労働の代行者ではなく、さらに上位の知的・感情的サポートを目的とした製品であるよう設計されている。クララがジョジーの友達(話し相手であり見守り役)となることを期待されているのは明らかである一方、ヒトに敵愾心を抱かせる場合もある。当初、家政婦のメラニアはクララを敵視している。「ついてくるなAF。どっかいけ」(p.74)と怒鳴るし、初対面のリックは「AFなんていらないって言ってた」(p. 90)と不快感を隠そうともせず、ジョジーとの関係に割って入る邪魔者という先入観を持っている。 だが時の経過とともに、メラニアはクララをジョジーの守り手と認め「オッケー、AF、二人は同じ組」(p.255)と認定するようになる。詳述はされないものの、メラニアがこの家の裏表を観察してきたこと、姉娘サリーが死んだ経緯とそれをめぐる母親クリシーの苦悩を熟知していること、ジョジーに再び同様の災厄が襲う可能性を予感していることなどが伝わってくる。リックも一旦クララの純真さやジョジーに対する献身を目の当たりにすると、そのよき理解者になる。同時に自分とジョジーの関係についても忌憚ない説明を行うところから、リックはクララが人間の心理や行動を学ぶ恰好の研究対象になもなる。
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An Essay on Klara and the Sun -4
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